私にとっての北森氏の作品の大きな魅力が2つあります。ひとつはおいしい料理。本の中からその料理のにおいが立ち上ってくるような錯覚さえ覚えます。こむずかしいフランス料理などとは違うんです。「ちょっといいものが手に入ったから」とその素材のうまみを十分に引き出すシンプルな料理法で皆の舌を満足させ、その心までも暖かくさせるような料理です。おいしい料理は人を幸せにするんだなあ、と読んでる私までなんだかあったかくなります。(『花の下にて春死なむ』も同じようにおいしい小説です。読んでみて下さい。損はさせないから。) もうひとつは、魅力的な登場人物たち。劇団員それぞれがいい味出してます。なかでもミソは小杉さんでしょうか。大ぼらふきでひとの迷惑顧みず、みたいなところもあるんだけど憎めない。ミケさんもとても暖かい人なのに謎だらけで。でもそれを問いただそうとしないネコさんとの関係がとてもいい。 ストーリーは、一見関係ないと思われるような出来事が不思議にからみ合って意外な結果が見えて来ます。連作短編集のような、長篇のような不思議な小説です。
蓮丈那智シリーズで北森鴻という作家に出会い、この作品にたどり着きました。探偵役ビアバー「香菜里屋」のマスター工藤さんは、上品で、温かく、人間の機微を知りぬいた人です。収められた作品は、いずれも話の意外な展開にうならされる短編ですが、その店で出される料理のちょっとした説明や描写も魅力です。こんなお店があれば常連になりたい。是非お酒を飲みながら読んでください。
蓮丈那智は推理する。 耶馬台国は、刺青の習慣があったと魏志倭人伝にある。これは、少なくとも海人族が混じっていたことを想定させる。 そして、神事に繋がる酒(卑弥呼ー鬼道ー酒)と鉄がキーワードとなる。 酒を常飲できるほど醸すには膨大な穀物が必要である、つまり平野である。そして、それには鉄器がなければならない。砂鉄 の産地が近くに在る必要がある。 「正史」とは、プロパガンダである。政治的意図がある。 故に、魏国にとって耶馬台は朝貢していたということ、つまり属国であることを正史に残すことが目的であった。「陸行水行」の記述は敢えて曖昧にしたのである。確かに存在するがその位置はなるべく不確かで呉・蜀の人が実態を確認出来ないようにしておくことが望ましい。その正統性、優位を示すために。 古代史の学者からは決して出てこない眼の醒めるような、しかし腑に落ちる視点である。 国立歴史民俗博物館のC14による年代測定も魑魅魍魎の学界内部における覇権つまり既得権争いのポジショントークのニオイが漂う。 その他にも興味深い記述がある。 .オカルティズムは、愚者が用いることを許される最後の麻薬である。 .心理カウンセラー等は現代の言霊師と言っていいだろう。 .鬼道とはマインドコントロールのことである。 .「古事記」は編年体では矛盾が生まれるため紀伝体で書かれている。 .記録とは後世へのメッセージであるばかりでなく記憶の封印の意味もある。 .記紀は二つの国家の歴史を記している。かって二つの国家が存在していた。 .戦争に正義などあるはずもない。
北森鴻の突然の死によりあと三〜四回分で完結するという部分を事実上のパートナーであった浅野里沙子氏が書き継いでいる。第六章の中途からであろう。それでも北森鴻の時間・空間の揺さぶりは十分堪能できた。
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