言わずと知れた、中期英語期の傑作のひとつに数えられる、 カンタベリー物語のretold版である。 一般常識としても、この本の大体の内容とChaucerという 作者名は知っておきたいという人も多いと思う。
内容は知っておきたいけど、原作で読むのは相当大変なこと で、日本語で読むのもちょっと…と思っている人に ぴったりだと思います。レベル3なので、語彙レベルも、 1200語程度(高校1年生程度)に限られています。
読みやすく書き直されていて、どのTale(物語)も興味深い 内容でした。
中世は停滞の時代だとされているのですが、その時代に生きた人々はなんと逞しく清々しいのだろう。パソリーニの描く 中世イギリスは緑とそこに生きる農民が活き活きとしています。金にものを言わせたい商人、カトリックの醜い僧侶、 はたまた税金徴収を生業としている下級役人。フェリーニのサティリコンなどと比べると三部作のパソリーニは単純明快。 原作では一番仕合わせなのは田舎に住んでいて、借金を抱えていない紳士であるとチョーサーは書いています。これは 不変の真理です。
少々俗なタイトルを付けてしまいましたが、このCD一枚で作曲家ヴァンデルローストの魅力をたっぷりと味わうことが出来る嬉しい一枚です。再生開始直後に流れる拍手で意表をつかれてから『アルセナール』が終わるまで、片時も退屈させない収録内容。再生終了後は心地良い疲労感に包まれました。
このCDの表題となっている『交響詩「スパルタクス」』と共に収録された『交響詩「モンタニャールの詩」』が二本柱で、『ポンテ・ロマーノ』や『プスタ』がプログラムのアクセントになっています。また『カンタベリー・コラール』の美しく荘厳な響きも本当に素晴らしく、同曲きっての名演ではないかと感じております。演奏そのものはもちろんのこと、収録内容=演奏会のプログラミングも「やはりプロはスゴイ」と唸るばかり。
ヴァンデルローストの作風の特徴は何と言ってもその劇的な展開かと思っております。物語性を持った一つの曲が、彼の多彩なオーケストレーションで彩られていく様は聴く者の心を捉えてやみません。そしてそれを、確固たる実力と表情豊かな音色を持った奏者一人一人によって余すことなく表現されている辺り、さすが大阪市音楽団と舌を巻くばかりです。ヴァンデルローストの作品と指揮、そして市音の演奏という貴重なコラボレーションだからこそ生まれた一枚ではないかと感じました。
おそらくこのCDを手に取るとしたら『スパルタクス』や『モンタニャール』を目的に、という方が多いかと思います。現代の吹奏楽作品の魅力の一つに、かつてのクラシック音楽に比べ一回りも二回りも豊かな物語性を持つ点が挙げられるのは言うまでもありませんし、ド派手で分厚くダイナミクスに溢れた作品が好まれるのは至極当然のことかと思います。現に私も上記2曲が大好きです。
しかし、例えばの話ですが、このアルバムに収録されている『カンタベリー・コラール』にも十二分に傾聴する価値があることを感じていただければと考えています。シンプルな旋律がひとつひとつ積み重なり大きな流れを作っていく。デカい音=迫力!テンポが速い=カッコイイ!…そこから少し視線を離してみて、ちょっと趣の異なる音楽を愉しむきっかけにもなるかなと期待できるCDです。
5度結婚したバースの女房の話、ひたすら忍耐する女性の美徳を語る学僧の 物語、チョーサーの語る「メリベウスの物語」など13話を収録。 男女の関係ひとつとっても、「従順な妻」「妻は自分の意志を通したい」な ど当時からさまざまな考えがあったことがわかり、おもしろい。 バースの女房の話に挿入されている話はアーサー王物語のガウェイン卿の結婚 の話にそっくりである。 註もくわしくつけられていて、学習にも有用。 「メリベウスの物語」では戦争や復讐について、ソロモンを中心に引用しな がらさまざまな教訓が説かれており、現代に通じる内容でありぜひ今英米人 に読んで欲しい内容。
『カンタベリー物語』は、さまざまな人たちが一緒に巡礼する中、各人が順番に物語をする。身分の高い人から低い人までいて、順々に語るのだが、とくに身分の高い人たちの物語には、決まって垣間見えるものがある。
敬虔な信仰と高貴な血筋を持つ女性(コンスタンツ)が船が難破したため異国に迷い込んでしまう。 また、 事情によりある男(アルシーテ)はその高貴な元の姿を隠して貧しい者になりすまして、城の従者として二年ほど暮らす。 だが彼らは、その生まれながらに持つ高貴さゆえに、異郷の地であろうと元の身分を隠そうと、相応の地位へと昇ることになる。
難破や恋の病により(原因はなんであれ)、彼らはいったんその身分が剥奪されるが、また元の位置へと帰っていく。これがカンタベリー物語のうち、 身分高い人たちが話す物語の基本構成となっている。
そこには、現状の地位を喪失するのではないかという不安、そして自分たちの地位は生まれながらの不変のものであることを、物語の形を借りて論証することで不安を解消しようとする意図が浮かび上がってくるように思う。当時の身分高い人々に共通した感情がそこにはあったのではなかろうか。
以上『カンタベリー物語』を、一面から見た場合の一所感にすぎないが、現代イギリス人の思考の原型、当時の歴史的背景、面白い生活史、ささいだが不思議な発想など、掘り起こしたくなる遺跡がたくさん埋もれていると期待している。遠い異国の遠い昔の物語と疎遠に思われず、多くの方々が書の考古学者になって『カンタベリー物語』から楽しい遺跡を発掘されんことを祈る。
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