漢字一文字をタイトルとする短編集である本書は、そのタイトルがテーマそのものとなっており明快この上ない。わかりやすい、そして自分の心に馴染みやすいがゆえ、哀しくもあった。長崎市役所の原爆関連の部署で働く作者らしい視点、そして忘れ目を背けたい一方で、決して風化させまいとする努力が伝わってきた。人間はいつの時代でも人間であるしかないのだなと改めて思う。
しかし、なぜ日本における「きりしたん信仰」というある種特異な中心地に、世界で二つしか投下されていない(今のところ)原子爆弾は炸裂したのか。祈りと怒りが静かに渦巻く土地、長崎。何か悲しい運命を感じてしまう。
諫早湾をとりまく4つの話が、淡々と綴られる。時折現れる、装丁写真とは対極の澱むような物質の描写が、かえって心の美しさ、静かな悲しさ、清々しさを自然に際立たせる。遠藤周作の「沈黙」読後に感じた不安と安堵の混交が自然とよみがえってくるが、それはキリシタン迫害の歴史を共通項にしてのことだけではないだろう。皮相的/模範的な宗教性と距離をおきながら、信頼と裏切り、心の翳り、そういった根源的テーマに深く沈んでゆく、不安定でアグノスティックな視界ゆえではないかと思う。情緒感動をむやみにくすぐる、「売れ筋」類の小説に倦んだ方に奨めたい。
詩のように美しい言葉で紡がれた切ない短編集。被爆者の心情をこんなにも人間的に現せるなんて。主人公たちはみんなどこか病んでいる。そして少しづつ私自身の分身であったりする。何度も「うん・・うん」とうなずきながら読んでいた「虫」のなかの、「あのひとはウマオイなのです。飛びそこねて爆心地におりてきたウマオイなのです。ウマオイは神をしりません」という言葉、「マリアさまはただの白磁の人形たい。中は空洞」という男の言葉。圧巻は「まだ生きておるね?」ととうウマオイの声。凄いなあ〜深い。手放せない一冊です。
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