チャイコフスキーもラフマニノフもどちらも優れているが、ラフマニノフの方が会心の出来ばえ。中村紘子のピアノはテクニックも素晴らしいし音色も美しいが、少々ドライでオケに比べて歌いこみがいまひとつという感じがする。だが、それがかえって、この演奏の場合、オケとのバランスを保つのに一役買っているような不思議な感じがする。どちらの協奏曲も、オケは大編成で、ピアノ協奏曲というよりも「大管弦楽団とピアノのための大交響曲」という感じがする。特に、ラフマニノフのオケ(ソヴィエト国立交響楽団)は聴きもの。これでもか、というくらい一音一音に生命が吹き込まれていて、それぞれのフレーズが大きなうねりとなって、聴く者の耳を襲う。音の大洪水という感じ。どんなに歌いこんでも、それがいやらしくならないのは、ラフマニノフの音楽が指揮者と楽団員の体に染み付き、自然に表現されていて作為的なものがないからなのだろう。後年、スヴェトラーノフが録音した、ラフマニノフの交響曲第2番も同様で、この指揮者のラフマニノフの解釈が一貫したものであり、不変であったことを示しているようだ。同曲のCD,生演奏をいくつも聴いてきたが、この指揮者とオケのコンビによる演奏を超える演奏を、私は今まで聴いたことがない。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だけを評価すれば間違いなく★★★★★(★5つ)です。(ラフマニノフの最後の最後で、トランペットがフォルテシモで思い切り音をはずしているのに、そのまま商品化してしまうのも、ロシア・オケらしい、と納得させられてしまうのは何故だろうか?)
中村紘子はこれで4冊目。いつも期待を裏切らない。
クラシックの名盤はレコード時代からCDに買い換えてひつこく聴いているが、そういうことを皆がしていると当然クラシックCDはあんまり売れるはずはないでしょうな。事実ポピュラーに比して数%位しか売れていないらしい。
彼女はコンクールで1次予選(知った曲を色んな人が色んな風に弾く)、2次予選(自分の気に入った人がどんな風に弾くか)と聴いていくと耳が大きくなるという。確かに私の聴き方はそういう意味では狭いですな。一度コンクールを聴いてみるのはいいかも。
しかし近頃はコンクールがやたらと増えて、優勝しても別にどおってこともないらしい。なんかオーバードクターだらけの数学の世界と似てやしないかしらん。
ピアノ曲はピアニストの解釈によって、同じ曲でもまるで違った曲になるものですが、私は中村紘子さんが弾くショパンは、やわらかく、しっとりとしていて大好きです。 本作は無駄な演出を排したシンプルな映像です。中村紘子さんとピアノしか映っていませんが、最後まで飽きることは無かったです。 音は、空のホールで演奏しているせいか(あるいはあえてそうしているのか)若干響きすぎのような気もしますが、音が濁っているわけではなく、そのままCDで発売しても大丈夫ないくらいの録音状態です。 演奏の方は、決してピリピリした雰囲気ではなく、どちらかというとリラックスした状態で、感情一杯に弾いています。一台のピアノから、こんなに色々な音が出せるのはさすがです! 個人的には、手元だけのアングルもあると嬉しかったのですが、まあ教則ビデオじゃないのだから、それはいいとして。。。 「英雄」や「革命」も観たかったので、ぜひ第二弾を希望します!! 日本を代表するピアニストの映像、日本人のクラシックファンならば一家に一枚必携!!お勧めです。
中村紘子らしい強烈な印象が残った。こだわりの感じられる演奏で好感は持てる。でも、これが最高かと言われると、残念ながらそうでもないかな・・・。最近の中村紘子の録音は今まで以上に良くなってきているので、これからを期待。
ピアニスト中村紘子が中央公論に チャイコフスキー・コンクールについて書き始めたのは、 実に今から26年も前のことだという。
1982年に続き86年もそのピアノ部門の審査員を引き受けた著者は、 まさに当事者でありながら、コンクールというものの存在意義について考え続けていた。
観客に過ぎないレビュアーからすると、 コンクールで優勝したからといって、そう簡単に彼らが当代一流の演奏家を凌駕するような 音楽を聴かせてくれるわけはないから、受賞歴はあまり重要ではない。 しかし世に出るチャンスを渇望している無名のプレイヤーにとっては、 コンクールこそがその機会に他ならない。 コンクールが「正常な才能のための定期的発掘装置」であるという著者によれば、 それは同時に、ある種の異才・奇才とでも呼ぶべき才能は、選からはもれてしまうことになる。 その一方で優勝者がかならずしも超一流になれるとは限らない。
そのような矛盾の中で、審査員であるピアニストは悩んでいるように見える。
当時の時間軸ではソビエトという国がまだ存在していて、 そしてその末期に開催されるコンクール、そして参加者は時代というものに翻弄されていく。
しかし、現代から本書を読んでみても、そこにある問題や著者の洞察は、 少しも古臭いものには感じられないのである。
そういう意味で、本書が復刊された意味は大いにあると思う。
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