表題紙に北原白秋の「巡礼」の詩の一節がある。『 真実一路の旅なれど 真実、鈴ふり、思い出す。』とても好きな一節でこの作品の世界観をよく表しているが、これは作者山本有三の生き方そのものでもあったのだろう、と拝察される。この作品はそうした作者の人生に対する深い洞察と真摯な眼差しが全編に亘って感じられる真実一路に生きることの喜びと尊さ、それが噛み合わないことの哀しみや淋しさを、夫婦や親子といった家族を中心に描く名作である。人が人生を真実一路に生きるとは、一体どういうことなんだろう―?この作品を読み返すたびにそのことに深く思いを馳せ、考えさせられる。平易であたたかみのある作者山本有三の文体(わたしはとても好きだ)とは裏腹に、描かれている内容はとても鋭く人生や愛情の深淵を問うような含蓄がある。それぞれが真実一路に生きるのに、それがどうしても噛み合わない―。夫婦、親子といった家族をはじめ、親戚、友人、許嫁、近しい関係であるほどそれは哀しみを湛えて胸を抉るように迫ってくる。血縁のある肉親だからといって、必ずしも理解し合えるというわけではなく、むしろ血が繋がっていないからこそ、真実の愛情を抱くことができるような、尊い結び付きもあるのではないだろうか。なにが"真実"なのか―、そこには底知れない深い意味があるように思えるのだ。知音(ちいん)―という言葉がある。心の内をよく理解してくれる真の友人のことであるが、知音に出逢えることはほんとうに稀であり、だからこそそういう出逢いは一生のものとして心に刻まれ、たとえ命を賭しても惜しくはないほどの深い感動をもたらすことがある。そういう者を失ったときの哀しみはとても深く、たとえばしず子と父義平の関係にもわたしはそれに通ずるものを感じ、愛情あふれる手がみのくだりは、涙なしでは読みすすむ事ができない。結婚と人生で一番大切なものはなにか―、というとても示唆の深い言及があり、そこではたと立ち止まって、それらについても思いを馳せる。この手がみにも作品そのものにも、作者の自身の経験から得た、結婚や人生に対する教訓が色濃く反映されており、それゆえに教えられるものがあるのである。小学生である義夫の心情もとてもよく書かれている。ああ、小学生の頃はわたしもこんなふうに感じたっけなあ、ととても懐かしい思いがして微笑ましく思う。子どもらしい心情や言葉遣いが素直で、それとなく上品なのがよい。この作品の人たちはみな、どこかしらなにか欠落したものを抱えつつ、そのことに真摯に向き合い、懸命に耐えて生きている。世間一般的には身勝手にも思える母むつ子ですらそうなのだ、といった作者の鋭くもあたたかな眼差しが作品に、簡単には解けないパズルのように、複雑な心理の葛藤と絡みのある深みをもたらしている。それぞれが己の信じる真実一路を生きる―、それこそが人生そのものなのだ、という作者のつよい信念が感じられる。それに付随する喜びは勿論のこと、哀しみ、淋しさといった苦しみにも耐えて、真実一路の信念で生きるのが人生だよ、と教えられるようだ。白黒、善悪ではっきりと言い切ってしまえないグレーな曖昧さこそ、人生が人生たる所以でもある。こうした人生の深淵を抉るような深みのある視点こそがこの作品のなにより素晴らしいところであり、醍醐味であると思う。本書を読むとどのような人生を歩んでも、真実一路に懸命に生きました、と胸を張って言えるように―、と背筋をすっと正されるような思いがする。折々に読み返して、その都度結婚や人生、人間の心理について洞察し、考えたいと思う、静かな光りを放つ不朽の名作である。【追記】『この小説は「主婦之友」に昭和十年一月号から十一年九月号まで二十一回連載された』(解説)ものである。良い作品なので何度か舞台やラジオ、映画やドラマでも取り上げられた。わたしはそのなかで川島雄三監督の映画『真実一路』(1954年 松竹配給。山村聡、淡島千景、桂木洋子、佐田啓二出演)を拝見したが、作品の世界観を損なうことのない良い作品であった。節付けされた白秋の「巡礼」の詩が心に残り、義夫役の水村国臣などもイメージにぴったりで、とても愛らしかったと記憶している。そういえば渥美清の寅さんの映画でも白秋の詩の額があった。(第34作『男はつらいよ 寅次郎真実一路』)そんな些細なことが懐かしく思い出される。名作はこんなふうにして時代を超えて受け継がれてゆく―、と思うと感慨深い。 真実一路 (新潮文庫) 関連情報
【3】山本有三氏と吉祥寺
「路傍の石」の中で亀戸天神でくず餅を書いた所を描いて下さった山本有三氏ですが、実は三鷹に住む前は吉祥寺に約10年間、住ん