宮崎氏 ランキング!

宮崎氏 古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫)

天皇と書いてなぜテンコウではなくテンノーと読むのか。これには深いわけがあるのです。宮崎先生の論文「天皇なる称号の由来について」によると、天皇称号出現以前は天王という称号がありました。天王は仏教でよく使われる名前ですが、乱世の五胡時代、仏教の普及にともない、天王と称する支配者が中国各地に続出しました。そして中国の影響のもと、五王時代の日本の主権者が外国に対して天王と称したのは自然のなりゆきでした。百済が倭王を天王と書いた記録があるそうです。百済が相手なら天王でもよいが、隋と対等な国交を結ぶとなると、「東天王敬白西皇帝」ではまずい。天王は皇帝よりも僅かながら格下だからです。でも中国には皇帝と同格の天皇という言葉がある。そこで、天王を天皇に書き改めました。しかし、字は変わっても呼びなれた呼称は簡単に変えられるものではない。テンノーはいぜんとしてテンノーであり続けました。古記録には天王なる表記が少なからず残っているそうです。 古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫) 関連情報

宮崎氏 江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫)

直木賞受賞作。といっても肩の凝る本ではない。「肩透かしを食らう本」と紹介した方が著者も喜ぶと思う。小説というカテゴリというよりはフィクションを交えたエッセイに近い。第三者の目線で進んでいたかと思うと、突然、主人公の目線となったり著者の目線になったりする。学校の論文や作文なら、きっと先生に真っ赤にされるに違いない。ウィキペディアによると、直木賞の選考の基準は「受賞後作家として一本立ちするだけの筆力があるかどうか」であるらしい。であるならば、なぜ、この本は直木賞を受賞できたのか。私は正直、その後長く続いた週刊新潮の「男性自身」のエッセイの方が好きだ。そのエッセイは、「江分利満氏」という架空の人物ではなく、本人そのものが主人公だからである。余計な雑味がないからである。「江分利満氏」はまだ著者自身の躊躇がある。恥ずかしさがある。青い。しかし嫌味ではない。熟成していないだけである。それに触れるのも、本読みとして(酒飲みとして)、悪くない。 江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫) 関連情報



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