原作を何回も見てるはずなのに シーザーの壮絶な最後に大泣きしてしまった 演出最高です
上記浦辺氏が仔細にレビューなさっており、私個人と致しましてはその内容に異存はございません。 非常に共感できます。従ってここでは、補足説明をさせて頂きつつ、私なりに本書の魅力を伝えさせて頂こうと思います。
さて浦辺氏は、レビューの中で、「玄洋社という団体についてその実態を知っている人は少ない」と述べておられます。 この場合の「人」は、一般読者だけでしょうか。恐らくそうではなく、ここにはいわゆる「知識人」も含まれます。 そしてこの「知識人」こそが、率先して「実態」をゆがめていることを、著者の石瀧氏は一貫して問題にしておられるのです。
その「知識人」の代表は『中村屋のボース』で名高い若手研究者の中島岳志氏にほかなりません。 中島氏は自著の中で、ボースが頭山を信頼していないということを、再三再四、きわめてあやしい「証拠」のままに「と考えられる」として、 「玄洋社=危険=右翼」の。恐らく最初から頭を離れなかったであろう「枠組み」に落とし込みます。(少し前の世代の研究者がとる例の方法ですね・・・。)
しかし、石瀧氏はこのあたりの詐術を見のがしません。(私はこの点で石瀧氏の方が、頭脳が「若い」とすら思っております。)
展開されるその実証的に反論は、底に知的誠実さが溢れており、卒論、修論に悩む学生にも、テーマに関心のあるなしを越えて、 きっと参考になるものと思います。結論うんぬんを期待して、我々はつい読書してしまいますが、それだけが本の 魅力では無いことを、少くとも私個人は再認識させられました。論理の堅牢な構築、その前提となる問題提起の鋭さ、そして駁論の手続きの確かさなど、 本書から学べる内容は、豊穣であるといえます。
ツェペリさんの死を乗り越えて、 新しい仲間も増えてジョジョがディオとの 決戦に挑むあたりですが、 結構漫画の数場面をカットして 早送りで進んでいただけに、 まさか赤ん坊を抱いた母親が・・・の 場面をアニメ化するとは思いませんでした。 かなりえげつない描写ではありますが、 むしろこの話がディオの鬼畜さを 1番表現していたのかもしれませんね・・・。
ハンプソンの甘い声に、グロベローバとボニーのすばらしい声。そして引き締まった演奏。私にとってのドンジョバンニのベストはこれです。第一幕のラストは何度聞いてもゾクゾクします。ウィーンのフォルクスオーパーで初めてドンジョバンニを見たときの感動を思い出しました。これは買いだと思います。
小生は基本的にモーツァルトはアーノンクールで聴くのが好きなのですが、ドン・ジョバンニは特にイイと思うのです。あいかわらず管がフガフガいっていて、このシニカルな滑稽さは、ストーリーの意図によくあっており、地獄落ちがいちばん自然に聞こえるのもアーノンクールなのです。 歌手の配役をみると、音楽に対しては過激なアーノンクールも、女性感は非常に保守的で常識的であることがわかり、面白いです。 グルベローヴァのドンナ・アンナは精神の切迫したゆらぎの表現が素晴らしく、硬質な張りのある声で、すっかり悲劇のヒロイン。 オペラを聴いたとは思えないほど、ひんやりした気分になります。
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