この本はあまり期待しないほうがいいと思います。 表紙の帯に究極の『サカつく'04』バイブルだ!!”って書いてあったので、ワクワクしながら購入しましたが、選手データの能力値は数値ではなく◎とか△の記号でした。オマケに、ジダン、ロナウド、アンリ、ベッカム、フィーゴなどの有名選手多数のデータが載ってません。 選手・スタッフデータ意外は良いかと。 なので星3つです。
このCDが発売される前から、TVアニメ『メジャー』の方で曲は聴いていました。
そして待ちに待った発売日前日に注文して買いました。
これが予想以上の素晴らしさ!
本当にROMの曲は不思議だと思いました。
聞く度に勇気や希望が溢れて、もっと頑張りたいって気持ちになれる。
この曲もそうです。まだまだがんばれそう…素直にそう思えました。
ここまで人の心を動かせる曲をつくれる、歌える人たちはほんの一握りだと思います。
とても良い曲です。ぜひ一度聞いて、それを実感して頂きたい。
文章が素直でぐいぐいひきこまれます。 とびぬけてエキセントリックでも個性的でもないのに、一度読み始めたら先が気になって途中でやめることができません。
まるでひとりひとりに話しかけているかのような語り口や、ものを見る目の鋭く、それでいて優しい、文章の背後にはっきりと見える透明な意識がとんでもなく魅力的です。
これだけの作品を書く人が、晩年は不幸だっというのが本当に切ないし、どんなにか辛かっただろうともう間に合わない今でも残念でなりません。
似たような感性で、同じような文章を書いたとしても、決して置き換えのできない尾崎ワールド。
「ブンガク」の力をひしひしと感じさせられます。
高1の春休みに手に取った、「全集・現代文学の発見」シリーズ(学藝書林)の中の一冊の『黒いユーモア』の巻で、尾崎翠の『第七官界彷徨』に出会ったときのことは、今でも昨日のことのように覚えています。
「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあひだに私はひとつの恋をしたやうである」というふうに『第七官界彷徨』は始まります。
それは衝撃的な出会いというより、またしてもデジャヴ(既視感)というか、ここにいるのは私だというあの感覚です。
昭和84年の今からすると、あのまだ抑圧されて自由からは程遠い昭和初期に、解放的な女性性を謳歌するような研ぎ澄まされた感受性のままを生きた尾崎翠は、稀有な特異な存在だと思います。
彼女の文学をひとことで言うなら、自分の感性の赴くままに、とでもいうのでしょうか、独自の世界をただひとり歩いていくその姿に感動するのです。
伝記的には、74歳まで生きた彼女は、詩歌を18歳のとき書き始め41歳のころ筆を断つといったふうに、生きているあいだ作家としてずっと存在したというのではなく、しかも再評価したのが花田清輝や平野謙というのは表向きで、実際には、例の四方田犬彦の『先生とわたし』のときに(「新潮」2007年3月号)登場したスーパーエディター=久保覚で、夢野久作やなんかと似た感じの、忘れられていたものを再評価・発掘というかたちで、広く一般にも知られるようになりました。
そういえば、彼女には萩尾望都や竹宮恵子や大島弓子と似たような同じ匂いがしたものです。
気弱なやるせない少女の感覚的な妖しい世界は、私にとっては拒絶すべき嫌悪の対象であると同時に、生涯逃れられない前世から受け継いだ禁忌として呪縛するものでしたが、でも実際にはそれほど嫌いではなく、少女期特有のナルティシズム・センティメンタリズムに埋没傾向として、時としてドップリ浸るのが大好きなのでした。
・・・・・ 記述日 : 2009年08月04日 10:10:55
ティンパンアレイ四女神、松任谷由実&荒井由実、矢野顕子、大貫妙子、吉田美奈子 それを継承したEPO、竹内まりや 今の時代ティンパンアレイ系の音を奏でる人は絶滅してしまったと嘆いてたところにこの寺尾紗穂の音楽は衝撃でした。くま井ゆう子はデビュー時に今世紀最後のユーミンと言われましたが、違いました。熊谷幸子はとてもよかったのですがティンパンアレイ系ではなかったし、でも寺尾紗穂はまさにティンパンアレイ系!声が初期の吉田美奈子、歌い方が大貫妙子そしてピアノを主とするところがアッコちゃんトータル的には荒井由実の私小説的な『ミスリム』すばらしい。初めてきいたときやばすぎてすばらしくて寒気がしました こういう音楽がよい音楽なんだと思います。洋楽しかきかないと言う人もいますが個人的には良質な日本の音楽が少ないゆえでしょう ティンパンアレイ系よ永遠に!
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