3人の女性の視点から、育児とは、母親とは、女性とは何かを描いた作品です。 狂おしいほどの激しい感情の描写が、読む側に襲いかかってくるようです。
夫の理解や協力を得られず、育児に孤独感と疎外感と不自由を感じ、 ライブビデオで保育園での子供の様子を監視し、ついには虐待に走る専業主婦・涼子。
華々しい世界に身を置き、別居婚を続けながら一人娘を育てるも、 不安定な感情からドラッグに溺れ、徐々に自己破壊をきたしていく小説家・ユカ。
社会的成功をおさめ周囲が羨むような生活の一方、夫とは不通が続き、 一方では不倫相手との逢瀬を重ね、思いもせぬ現実に翻弄されてゆくトップモデル・五月。
誤解を恐れずに言えば、子供は親の自由を奪い取る存在です。 そのためか近世ヨーロッパなどでは、生まれたばかりの子供を親が里子に出す風習もあったと聞きます。 いまの日本のように、子育ては素晴らしいこと、子供は宝だという価値観は、 歴史的にみればレアケースだという見方も成り立つのかもしれません。 しかし今の日本では「子供は宝」の美徳のもと、 母親が我慢して禁欲することが当然だとされる傾向があります。 子育て支援といっても微々たるもの。3人の母親の苦悩は現実の一面を投射しているでしょう。
過激でグロテスクな描写に目を背けたくなるけれど、 闇に向かって咆哮するかのような登場人物の叫びがずっと伝わってきて考えさせられました。 人間を描く小説としては、傑作の部類なのではないかと思います。 ただ、実際の子育ては、もっと周囲に助けてくれる人がいて、楽しいのだと信じたいですが。
今日こそ精神科へ行こうと言いながら結局行けない・・・ なんかギャグみたいで面白かったです。 (別に作者はギャグのつもりで書いた訳ではないのだけど、 私にはギャクっぽく感じた^_^;) 「蛇にピアス」で金原さんの作品に興味を持ち、 それ以降、ほとんどの作品を読んでいますが、 (もうこの人の小説を読むのをやめようか・・) と思っていましたが (とくに「アッシュベイビー」は最悪だった) この作品で少し見直しました。
これからも「別世界の話」という感覚で楽しみたいと思います。
現実の歪みがアニメーションの歪みになり、心理のゆれが描線のふるえになります。往診先の近所の子供たちの合唱が美しくも奇怪です。「裸にしちゃえ、そうすれば、きちんと直すだろう。もし直さなかったなら、殺しちゃえ」。原作にもその言葉はありますが。医者が戻る雪原には顔の一部、目や耳や鼻がバラバラになって散らばっています。 山村版には原作にない落ちがあります。医者が戻ってきてもとの家の扉を開くと、人影が雪の上に映るのですが、医者ひとりのはずなのに影は二人になっています。いつのまにか増えた影は医者に寄り添う作者の影でしょう。 怪我を治療し、病気を治すことが医者には期待されていますが、田舎医者にはその能力がありません。医者は仕事から達成感を得ることができずに、実際の傷を前になす術も無く、徒労感を感じます。田舎医者はそもそも呼び鈴に応じたことが間違いだったと出発点に立ち戻って後悔しますが、いまさら後悔しても無駄です。絶えざる不条理の世界を生きる医者の嘆きが浮き彫りになりますが、能無しのスペシャリストに共感を覚えたり、同情したりする人はいないでしょう。 スペシャリストの名に値しない“能無し”、それが私たち現代人の顔なのかもしれません。なんと残酷な自己認識でしょうか。
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