筆者はドイツに住んで、ドイツ語で文学をしている、という そういう「エクソフォニー」という母語の外で暮らしている人の事情がテーマ。 インドや中国にもいそうですが、日本人ではかなりレアです。
マイナー言語圏(ソルブ語とかクロアチア語とか)には、詩人の割合が多い。というのは、マイナー言語は読者が足りないので食べていけなくて、メジャーな市場のある英語とかで書かざるを得ないんだけど、 そういう「エクソフォニー」な人々の英語が、英語圏に新しい表現の風を巻き起こす。
右翼の台頭するハンガリーでは、移民にハンガリー語のテストをして落第したら祖国に送り返すなどの強制措置をとっているが、文学の現場では、「エクソフォニー」の移民のつたないハンガリー語を利用して新しい文学を掘り起こしている、とか。
その他いろいろマニアックなことが書いてあり、日本も多民族化しても面白そうだと思う刺激的な本でした。
多和田の小説を読むのは初めてだった、しかし、一気に読まされる。中国を背景にしているので、中島敦の作品を想起させるが、文体は対照的ですらある。詩的な造形力の強いことばで紡ぎだす怪奇譚だが乾いた文章であと味が良い。ドイツ文学に多い幻想的なアネックドーテのアジア版ともいえる。多和田がドイツ文学の作家としても高く評されている理由をこの作品は象徴的に表現している。この作品に似た日本の幻想譚は、石川淳の紫苑物語であろうが、捨象した描き方と作家自身の言葉との格闘をも描いた作品としては本書が一枚上手かもしれない。この作家の代表作になるかもしれない。
多和田葉子「犬婿入り」を読了。表題作と「ペルソナ」の2編を収録。両作品ともにいえるのは、独特の文体から独特の雰囲気が文中から滲み出す。「ペルソナ」は本当の異国での日本人の生活の中の物語。また「犬婿入り」は民話という「異国」の物語を現代にあてはめた物語。両者とも「異」が物語の肝になっている。「異」の中での精神や心の揺れ、または理解できない事象などなど。このような「異」とであったときの不思議な物語が本書の作品なのです。
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