矢沢永吉と言えば、そのねばっこいヴォーカルスタイル。濃厚な、バックサウンド。だが本作は、良い意味で、あっさりしてます。軽快で、親しみやすさもあり、いちばん聴きやすい。タイトル曲と、愛しい風、最高です。
イルマーレ、ラスト・プレゼント、純愛譜、インタビューの”さわやかな”イ・ジョンジェが全く違ったタイプの男性を演じている。はっきり言って、レンタルDVD店で手にした時はちょっとショックでした。でも、情事/不倫という”火遊び的な恋愛”とは違って、”本当の意味での純愛映画”だと思います。いやらしさが全くなく、とてもきれい。イ・ジョンジェの手が、指の動きがとてもきれいで、バックに流れる曲が”せつなさ”を引き立たせています。本当に人を愛したことがある人は、共感できる映画ではないでしょうか。 思いがけなくとてもいい映画だったので、いつでも見ていたくて購入しました。先に”情事でイ・ジョンジェの演じたウインは、今までとは全く違ったタイプの男性だ”と言いましたが、”一人の人を深く愛している”というところでは彼の演じる役は共通しているかもしれません。
小説のタイトルは「情事の終わり」だが、内容は「信仰の始まり」ともいうべきもの。キリスト教は日本人からみると逆説に満ちているが、特に「奇跡」は理解しづらい。そういう点で、この小説はカトリック信仰に関心のないひとには不向きだ。しかし、カトリックの信仰を理解しようとするひとには、フランスの作家ベルナノスとならんでグリーンはとても面白い。特に、本書は「奇跡」を扱っているので、両作家を比較するのも興味深いかもしれない。グリーンには『権力と栄光』という傑作もあるので、併せ読みたい。 以下は、私的な感想。 サラァは神と出会ったことにより、情事を終えざるをえなかった。自分の意志ではなくとも、神と対話を始めてしまってからサラァの心は神に奪われてしまったといってよい。その意味では、ベンドリクスが恋敵のように神を憎むのは正当である。サラァの心を得ることの出来なかった男たちは、神を憎む必要はなかったから、サラァによって神に導かれる・・・・(小説には結果が書かれていないけれども)。ベンドリクスの「愛」は与えるものではなく、あくまでも得るためのものであるから、しかも、自ら言うようにサラァの心ではなく「肉体がほしかった」ゆえに、遂にサラァ(神)を理解することはできなかった。いや、あるいは薄々気づいていたのかもしれない。ベンドリクスの反論する、サラァが跳躍したように跳躍することによって、みんな聖人になれるではないか、「もしきみが聖人なら、聖人になることはそんなにむずかしくはないではないか。それは彼がわれわれのうちの誰にでも要求できることだ。跳躍。」という言葉に、おそらく作家の真意があるのだろう。
Vシネなどによく出演なさっている、水谷ケイの疑似AV。作品は思ったほど悪くない。恋に奔放な大学生水谷ケイが、いろいろな男をとっかえひっかえしながら性体験を重ねていく、というストーリー。水着やボンテ―ジルックでの濡れ場があり、その美しい巨乳をさらけだしてくれます。演技もそこまでヒドくありません。当然ながらケイちゃんが若い! そして相変わらずキレイなオッパイです。なつかしいな〜と思われた方なら見て損はないでしょう。ただ「AVシネマ」などとうたっていますが、Vシネマより少しエロいくらいです。モザイク入りでも、フェ○シーンや精○なんかは当然出てきません。同様の作品として「ミッドナイトローズ」ほか2本くらいあったはず。一応ご注意を。
記録によると、僕は1982年6月に新宿東映ホール2で、友人と一緒に観た。見終わってから、友人と二人で、当時、22歳の若造には、「ちょっと高級(?)だったな」と感想をもらし、DUGへ行ってコーヒーを飲んだことを思い出しました。今、みたら、きっと違った印象を抱くのでしょうが、当時は、モニカ・ヴィッティという大人の女性に近寄りがたさを感じたのでした。 映画館から出てきたお客さんの中に殿山泰司さんを見つけて、「あぁ、きっと大人には分かるのだろうな、この映画が」と思った事が、映画そのものよりも鮮烈に覚えています。
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