40歳にして自分の「可能性」にもう一度駆けてみようと思ったシズオは、 自分の書いた漫画を出版社に持ち込んではボツにされ、持ち込んでは ボツにされの繰り返しの途上、あるほのかな「出会い」を迎えていた。一 方そのころ、前のバイト先でシズオとその家族と知り合った秀一は、新 しい職場のキャバクラでウェイターとして悪戦苦闘していて…。
親父さんのシズオへのツッコミのエッジもさらに効き始めた『俺はまだ本 気出してないだけ』の第二巻。この漫画が教えてくれるのは、「本気って こえーぞ」ということ。
人間誰しも、本当の自分(=本気)はこんなもんじゃないという不満を抱え ている。その不満の源泉は、周囲による自分への客観評価の低さに元づ くもの、つまり自分を周りが低く見積もっていることによるものだ、と本人は 思っているが実は違う。本当に問題なのは、低すぎる客観評価ではなく、 高すぎる自己評価、すなわち永久に自分ではたどり着けない(にもかかわ らず自分の領分にある)“本気”にこそあるのだ。そのことをこの漫画は教え てくれる。
作画の方に目を移すと、相変わらず「酔拳」だ。ネームにそのまま描いてん じゃないか?と疑ってしまうほどさだまらない線描と、トーンをあまりにも使 わない白黒の背景は、一言でいうと「ゆるい!」のだけれど、そのゆるさに だまされてなめてかかると痛い目に遭う。
的確に配置されたカット割りと、必要最小限度に押さえられた効果的なセ リフ回しは、単なる酔っぱらいではない。これは達者による「酔拳」なのだ。 そう考えると、このタイトルは作者自身の心の叫びなのかもしれない。この ファンである評者としては、「本気ださない」まま、このゆるい世界観を維持 したまま最後まで描き上げてほしいところだ。
最終巻で今まで謎だった部分が全部回収されているのでスッキリします。 途中泣いたけど最後笑えた。 高橋留美子劇場みたいな短編集出してくれないかな・・・。
なんか映画化決定らしいけど、この漫画別に映画的な起承転結のあるストーリーでも無いから完全オリジナルストーリーになりそうで嫌な予感しかしない・・・。
15年間ちんたら会社員を続けてきたシズオ40歳はある日一念発起。会社を辞めて自分探し の道なき道を出立。その末に見つけたものこそが、マンガ家という道だったのだ…
表紙を一目見ればわかるとおり、全編にわたって続く「ゆるい」キャラクターと世界、そして その中でひときわ輝く主人公の「痛さ」がこのマンガ最大の売りなのだが、読むうちに読者 はある疑念に駆られる。
これはホントにフィクションなのか?
シズオが劇中で描く全く見向きもされない、いかにも素人臭い画風とモチーフのマンガ作品。 それとこのマンガそのものがダブるのである。そこから至るのはつまり、これは半自伝的マン ガではないか、という推理。このマンガ家志望のトチ狂ったおっさんのマンガを描くペンの向 こうには、まさか本当に40代の脱サラマンガ家がいるのでは……いやいや、それこそがこの マンガに配置された、一つの巧妙な罠なのかもしれない。
よくよく読んでみるとこのマンガは、ヘタなのではなくあえてヘタをしている、いわゆるヘタ ウマに思えてくる。絵はへたくそ(に見える)が、あっと思わせる巧みなコマ構成、話の展開、 そしてタイトルでも分かる通りこの人、それ一言で一挙に話を展開させることのできるワンフ レーズを生み出す才能に長けている。いやいや、達者である。
ただそれにせよ、ヘタを装おうとヘタはヘタなのだ。おそらく、ある種のマンガ読者には受け 入れられない作品かもしれない。だがしかし、あれもマンガであればこれもマンガ。それが マンガというメディアのおもしろさだ。僕はこの人の才能を買う。
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