男だとか女だとか言う差別を無視して、人間として人を愛する事がこんなに難しいなんて。アルバムの中のこの一曲を聞くと、映画を見た後のあの重苦しさをそれと同様に感じられます。
この作品は、「実話」をもとに製作されたという事が、その悲惨さをさらに深くしている。もし、主人公が2名の男と出会っていなければ、こんな結末にならなかったかもしれない。また、銃を簡単に手に入れられるアメリカだからこそ、余りにも悲しい結末にしている。主人公が抱えていた状況は、日本でも差別されてしまうかもしれないが、「死」に至る事は無かった筈である。誰もが見ておくべき映画だと思う。
この映画は、主人公を取り巻く人々の激しさが色濃く、見終わった時には重苦しい気分にさせられた。主人公が痛々しすぎてたまらなかったからだ。男だとか女だとかは関係なく、主人公を巻き込んでいく出来事がある意味当たり前で、そこらじゅうに転がっていそうで、容易に自分を重ねることができた。望みも喜びも快楽も、葛藤も後ろめたさも恐怖も。 性同一性障害も性犯罪も、ニュースなどで扱われている。決して絵空事でないその現実が急にこの身に押しかかるような気がしてしまった。主人公を取り巻く人物たちが主人公に対して見せた笑顔。それがたった一つの嘘-主人公にとっての望み-が暴かれただけで変わってしまった。彼らにとって、主人公はモンスターだった。残酷な話だと思うのと同時に、出来事の数々は、とてもこの現実を映しているのだと思わせられる。友人たちに拒絶され、裏切られ、人としての尊厳さえも傷つけられる。精神的にも肉体的にも深い傷を負った主人公には絶対的な支えが必要だった。それが主人公の恋人の存在だ。ラストでの恋人とのやり取りでは少し慰められる。 憎悪犯罪は歪んだ考えからなる"偏見"から生まれる。その正当性の欠如、非人間性、そういったことを考えさせる。性同一性障害者を身近(家族、親しい友人など)に持つ人にこそ見てもらいたい映画だと思う。
翻訳調の抑制の効いた文体で、淡々と語られる、80年代トーキョーのナイトライフ。岡崎京子の『東京ガールズブラボー』(宝島社)と、本棚に並べて置きたい。
これを見た後の壮絶な絶望感。私は、もちろん女で女。
ヒラリーの男になりきってる演技には、はじめから呑み込まれた。
演技という事を忘れるくらいに。だから、見た後の絶望感はひどかった。
それだけ、人に与える影響が強い作品とも思う。
しかし、現実に起きた出来事という事が
これから、私達がどのように対応するべきかも考えさせられた。
実話に負けないヒラリーの演技力と、見ている人を呑み込み
巻き込むストーリーが、素晴らしいとも言える。
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