水槽に入れて楽しんでいます。もっと大量に購入しても良かったです。
なんだか、この曲を聴くと元気が出ます。 松岡さんの独特の歌詞が印象的。
最近細かいものを見るのが段々つらくなる中LED付がうれしい商品。 ただ倍率が良く分からなかったため少々拡大しすぎが残念
英米文学の翻訳家として四半世紀活躍してきた著者のエッセイ集。『やみくも―翻訳家、穴に落ちる』として単行本出版されたものを土台に、加筆・修正・増補した一冊です。
「翻訳家のエッセイには間違いはない」というのが私の経験知ですが、この本もそれを裏切らないものでした。 ともすれば流れ行くだけの時間の狭間に独特の視点で何かを見いだし、それを味わい深く、練達の文章で綴って見せる手腕。 日々、常人の想像が及ばぬほどの密度で言葉と格闘し、また翻訳を通して原書の物語を奥の奥まで味わいつくしている人であるからこその文章が、250ページ強込められた書です。
話題は多岐にわたります。 翻訳家になったばかりのころのこと。 ひとり黙々と翻訳業を続ける中での孤独に関した一文。 子育てのこと。 食に関するエッセイなどなど。
小学一年生の娘の通う小学校を通してアフガニスタンの若い女性教師を一日ホームステイでひきうけることになったことを綴ったエッセイがなかなか読ませます。 タリバン政権崩壊でようやく女性の教育機会や歌舞音曲の演奏が解禁されたイスラム国からやってきた彼女。わずか一日とはいえ、驚きと理解に満ちた交流が終わった後、個人の住所がないというアフガニスタンに帰る彼女とは今後Yahooメールを通じた通信だけがたよりです。 国づくりの途上にあってまだまだ不安定な母国へもどる彼女とのやりとりも、いつかはなくなってしまうかもしれない。その先に自分に残されるのは「祈りをこめた傍観だけかもしれない」と著者は記します。この一文に胸を衝かれました。
最後に最も心に残った言葉を引き写します。 「翻訳とは、自分のことばの言語領域を離れて、訳語という仮住まいをただ訪ね歩くエトランジェになることだ。その圧倒的な心許なさのうちにも、ことばの非日常に暮らす一抹の華やぎがある。世界で十五億人が話す強大な英語を、今日もわたしは「小さな」日本語に訳している。相変わらず小さな筏で流れに翻弄され、ときどき転覆しかけながら、他者のことばの河をくだっていく。」(218頁)
浄化用に保管している箱の底に敷き詰めるために購入しました。 隙間なく敷き詰めることが出来、良かったです。
価格も良い。 ただ開封時、気をつけないと床に撒き散らすことになります。(・_・;)
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