これは画一化された昨今の日本のテレビアニメにおいて、画期的な挑戦である。まずその一点をとっても見る価値がある。原作ファンへの配慮がどうとか(ちょっと改変しただけでも裏切り者扱い)、萌えがどうとか(好みと外れたものは認めない)とか、受動的なくせに己の(主に性的な)欲望を満たすことばかり求めている一部のアニメファンは、まず生理的に受け付けないだろうし、浅い知識を振りかざして必死に否定しにかかるだろう。もちろん、その程度の下卑た反応は作り手も織り込み済みなわけで、それだけでもすでに痛快だ。
本作の最大の話題はロトスコープという技法を用いている点にある。と言っても、技法自体はアニメ創世記から存在するありふれたものでしかなく、目新しいと褒めるのも、逆に前例があると貶すのも共に意味が無い。
本作の特徴は、ロトスコープによって映しとられた映像が三コマ打ちの手書きアニメに置き換えられている点にある。実写をそのまま引き写すのであれば、モーション・キャプチャーと大差ないわけで、『惡の華』は、異形な見た目ではあるが、あくまでも日本アニメ的な表現に落とし込まれているのである。かつてのディズニー(『白雪姫』)や東映動画(『白蛇伝』)のフルアニメ技法とは、まったく異なった効果がそこに生まれている。そこを見極められない人間は、肯定否定を問わずアニメを見る目がない。仕草ひとつとっても実写コピペにはなってないのだ。
他にもワンカットが非常に長いこと(カット数は通常のテレビアニメの半分程度)、影なし作画の採用(細田守も用いるテクニック)、画面の細部まで動く事がもたらす過剰な情報量(大半の動きは、普通のアニメではノイズとして省略されるだろう)、背景美術とキャラクター作画との微妙な違和感を保持させる色彩のバランス(ただ実写を置き換えるだけでは、この効果は出ない)など、随所に恐ろしいほどの手間暇がかけられている。
ストーリー自体は、なにぶん序盤なので、なんとも言えないが、AパートとBパートで、それぞれ一日の出来事を描き、その中に決定な差異を埋め込むという構成は、非常によく練られている。一人よがりだゲージュツ気取りだと非難する声もあるが、少なくともこの第1話を見て、話がわからないとか、設定がのみこめないとか、主人公の気持ちが理解できないとかいう視聴者はいないはずだ。実は娯楽として間口が広く作られたプロローグなのだ。生理的に受け付けなかった方々はお気の毒としか言う他はない。
原作ファンとしては、全十三話予定なのに、第一話で、第一巻冒頭の約二〇ページしか進んでいない悠長な展開は、やはり気にかかる(単行本は七巻まで出ていて未完)。今後、ストーリー構成において、シリーズを通してどのような仕掛けを用意しているのだろうか。はっきり言ってしまえば、映像に関してこれだけ騒ぎになるのは今のうち、おそらく話数が進むごとに、視聴者も慣れていくだろうし(慣れない人はさっさと脱落するだろう)、むしろそこからがスタッフとしても正念場となるはずだ。
あとがきによると押見先生は吃音症で自身の辛い経験を下敷きにしてこの漫画を描かれたそうです。 人前で喋れないもどかしさ恥ずかしさが痛いくらい伝わって来て・・読んでいて胸が苦しくなりました。 描写が真に迫り過ぎていて読むのが辛いくらいです。 ただ、この漫画は押見修造作品としては少し生真面目過ぎると言うかNHKの学園ドラマみたいな硬い印象も受けました。 「悪の華」みたいなゾワゾワするような背徳感を求めると肩透かしを喰らうと思います。
「惡の華」がブレイク中の著者。この作品には、フェティシズムの断片が見られるので、なるほど、って思う。 ただ、主人公の好奇心と情熱みたいなものは、やっぱり、女子がちんこ見たいということで突っ走っているあたりで、作者には申し訳ないけれど、コメディとしてものすごく笑わせていただいた。 なぜコメディになってしまうかといえば、同じ話を男子を主人公にしてま〇こ見たいということで突っ走ったら、単なる犯罪マンガになってしまうから。作者の想いは、性別を逆転させても通じるものであるべきだったと思う。 ほぼデビュー作ということで、やっぱり、絵がもっと上手だと良かったのにな、とも思う。 でも、カバーがきれいなので、買っちゃった。
この手の作品は自分の好みなのでかなり読んでいますが、面白いと思う作品はほとんどめぐり合わないですが久々に面白いと思いました、主人公の精神が理由は不明だが分裂して好意を寄せていた女の子の中に入り主人公はその女の子となり元の自分は自分のままで存在する、そしてラストでは入れ替わった女の子とはどうゆう関係なのか?って女の子の介入とか先が気になる展開です、ぜひ2巻も読んでみたいです。
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