ハックルベリ・フィンの冒険―トウェイン完訳コレクション (角川文庫)
これはおもしろかったです!
きっともっと生ぬるい、童話的な話なんだろうと読む前はたかをくくっていましたが、
これが全然予想をはるかに超えておもしろい小説でした。
というか、こんなおしゃれな、喫茶店に飾ってそうな装丁にしてしまうのか、
というくらいの「少年の冒険」ではすまない生臭い、野生的な話で、
普通にリンチシーンや、詐欺興業などのほんとに悪いこともパンパンやったりして、
酒は呑むわタバコは吸うわ、人は殺しあうわで、
おお、すごいなぁと思いました。
しかも650ページあるのに全然中だるみがなく、飽きる瞬間さえありませんでした。
トム・ソーヤが勝手に事態を複雑化していく後半もおもしろかったですが、
「王様」と「公爵」と一緒に詐欺周りをする中盤が一番おもしろかったです。
そしてなんといってもハックとジムの友情が本当に黒人が不等に差別されていた時代に
書かれた小説なのかと思うほど自然に温かく、とても感動できました。
それにしてもこんなものを読み逃していたなんて・・
「世界文学」なんて聞こえはいいだけで、
中身は退屈の展覧会程度のものだと思っていたのですが・・
目の前の霧のはれる思いでした。
ハックルベリイ・フィンの冒険 (新潮文庫)
「トム・ソーヤーの冒険」で大金を手に入れて、ダグラス未亡人に世話になることになったハックルベリー・フィンの冒険の物語。
前半部~中盤部では「宿根」や「詐欺師」などの「大人」の汚さというようなものにハックが動かされるかそうしまいかという葛藤があります。ハックは良心の呵責に弱いという特徴を持っていて、「大人」から逃げ出し、ついには後半部でトム・ソーヤーと再会し、本来の自分というものを取り戻します。
その中でハックにしても、トムにしてもまったくといっていいほどに成長というものをしません。それはこの小説のテーマが「イノセンスの保護・復活」であるからでしょう。だから大人向けの小説であるといえるでしょう。
ハックとトムの話を読んでいると、「ぼくらはゆめみて」の僕とMを思い出してしまいます。これを読んでから「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤーの冒険」を読むと理解を深めることが出来ます。
ハックルベリー・フィンの冒険〈上〉 (福音館古典童話シリーズ 34)
みなさんが印象として持っている『冒険小説』という言葉は、この本を語るにあまりにも表面的である。ハックが変装する場面にはアイデンティティーの問題があり、教会が黒人差別を正当化しているところにはトウェインの風刺が見られ、沈んでいく船にはロマンティシズムへの背反が見られる。嘘や殺人に満ちたこの小説を少年向けの小説と捉えるには、あまりにも深い小説だと私は思う。また、ハックを利用しようとする父親と、心優しく娘を思う黒人奴隷のジムとの対比や、金銭に執着のないハックとお金に関して口にするトムとの対比も興味深い。(洋書ではハックが黒人だったのではないか、と議論する本もあり、非常に興味深いので、おすすめである。)