森村誠一原作の同名小説の映画化。ただ内容は本格ミステリーというより犯人側のラブストーリー。近藤正臣と由美かおるの悲恋物語となっているがホテルでの落下殺人、飛行機を使ってのアリバイ作りは残されている。由美かおるといえば彼女の二十代の若々しいヌードが拝める。
森村誠一さんは他にも小説家の指南書を書いており、それとの重複性は、私は読んでないので分かりませんが、ホテルマン時代の身の上話は他のエッセイ集でもあった覚えがあります。そのあたりをテレビの再放送として楽しく読めるかどうかは、森村ファンか否かの踏み絵なのでしょうね。 私は学生時代に森村作品の多くを図書館でただで読んでいたという十字架を背負っているので、この本が薄かろうが代金がいくらだろうか一時を楽しく読ませていただきました。 実用書の分量というのは薄いほうが頭によく入ると思っています。 現役作家が指南書を書くと、やはりどこか他の先生のアドバイスとは違う部分があるわけですが、軽い流れの中にそれを見つけてハイライトを入れてみるのは電子書籍の楽しみの一つでもあります。
読売新聞の広告で本書の存在を知りすぐに購入して読みすすめた。「著者10年ぶりの単行本書き下ろし!」という文言が気になったが、「悪道」なるタイトルもまた魅力的に思えた。以前に文庫『悪の条件』を読んで以来、「悪」を真正面から描き切る筆力に作家の真髄があるのかもしれないと勝手に思い込んだせいもあろうか。とにかく400頁におよび徳川綱吉元禄時代のなかで多彩な人物を登場させ、それぞれが背負う宿命や悲哀ぶりを読み応えに富む文体で奏でた本書はやはり傑作である。ラストまでの緊迫感がたまらない。長編だが中断することなく一気に読ませてくれる。
もともとは本格社会派推理小説の先駆的存在として知られる著者だが、近年は時代小説、さらには俳句の創作活動も活発におこなっている。本書は著者のこれまでの作風すべてを結集して仕上げた作品だ。芭蕉を登場させ、彼の足跡を伏線とするシナリオからも強いこだわりが感じ取れる。こうした作品には史実についての正確で豊かな知識はもちろん、それらを駆使して壮大なストーリーを淀みなく展開していく構想力が不可欠である。単なる「お話」ではない。森村誠一だからこそ書きえたのだ、とおもう。
今であろうと昔であろうと奥深い<人間ドラマ>には読者の心に響く何かがある。その人間ドラマに共感するかしないかは別にせよ、人間が「生きること」・「死すること」の意味、そしてまた「悪」といういかなる人間も決して逃れ得ないもの(宿命)をはたと直感するとき、本書は極上の人生哲学書としての風味をも奏でるのではないだろうか。われわれ人間とはいかなる存在であるのかを突きつける世界への扉が本書である。多くの人に広く推奨したい。
このドラマを見た後で、映画の「人間の証明」を深夜放送で見ました。 昔の角川映画らしく、大袈裟でお金をたくさん使ったあまり意味のない映画に仕上がっていました。 それを考えると、このドラマは本当に奇跡的に良いです。というか、素晴らしいです。
人間というものを全く信用していない棟居刑事と郡恭子。この似たもの同士が、それぞれに紆余曲折を経て、最後取調室に辿りつくのですが 二人の対決、ドラマ史に残るやり取りでした。いままで、凡百のサスペンスドラマの犯人自白シーンを見てきましたが(崖の上が多い) ここまで緊迫した、そしてエモーショナルなものは見たことがありません。 決して激しかったり、声を荒げたりしているわけではないのに、二人の攻防はまさしく戦いでした。
何がすごいって、郡恭子が最後まで一切反省も後悔もしていないところが凄いんです。 じゃあ何故落ちたのか? 棟居は、この女のかすかに残る人間性の名残りのようなものを信じていました。だから、最後の最後には、厳しさではなく、優しさで攻めたのです。 それは、殺された彼女の息子の心を語ることでした。その瞬間、女は目の前に、自らが殺した息子を見たのです。 そして、一瞬ではありましたが、自分が人間であることを思い出してしまったのです。 隙を突かれたというところでしょうか。
この難しいシークエンスを、竹野内豊はじっくりと、彼の持ち味である優しさあふれる演技で見せ 松坂慶子は滅多に演じない役柄ながら、鋭い冷たさを全身から滲ませて演じていました。 時間延長も無く、地味に終わったという印象のあった本放送ですが、 このただ犯人を自白させるためだけの45分間は、大変濃密なものでした。 無理に薄めたエピソードを入れて、間延びするより良かったと思います。 ここまでよく出来たサスペンスは、もう出来ないかもしれません。 視聴率狙いのキャラ立ちしたようなドラマしか作れない今の日本では。
ちなみに、DVDには、テレビになかったシーンがいくつか入っています。 ちょっと嬉しいかも。
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