無伴奏とはなっているが、実際にはチェロ独奏と「何か」との共演による曲が3つ。ブルネロとは盟友と言われるソッリマの曲はエレクトロニクスと、スカルソープは合唱と、そしてシェルシは打楽器との協奏による。
ソッリマは、その華麗な音の饗宴に耳を奪われる。どこまでが独奏の音なのかもはや判断がつかないが、それでもなおすごいテクニックで弾かれているらしいことはわかる。スカルソープの曲は、以前ウィスペルウェイの独奏によるものが出ていたが、このCDでは合唱が加わったことにより、静謐さが増したようだ。3人の作曲者のうち、シェルシのみ既に他界しているが、曲の印象もやはり少々インパクトが弱いと感じられる。逆説的だが、一番「現代音楽風」であることが古さを感じさせるようだ。
ブルネロの演奏は、そのテクニックと、さらに、何か人を引き付ける吸引力でもって聴く者の耳をつかむかのようだ。ここには三者三様の独自の音楽が奏でられており、未知の新しい音楽との出会いがある。
ジャズのレーベルからの発売にことさら意味を求める必要はないと思うが、確かにこれは今までのクラシックの常識とはいい意味で違った場所にある音楽かも知れない。音が非常にナチュラルで、眼前で聴いているような空気感がある。弓の動きまで手にとるようだ。これこそジャズレーベルならではの得意技と言えようか。
ナチュラルだと言ったが、バッハの格式にこだわる人には「ジャズ」に聴こえたりもするのだろうか。バッハ聴きは保守的だ。だが、そろそろバッハを解放してあげてもいいのではないか。バッハが何をどう作ったかは重要だが、もっと重要なのは演奏がいい音楽になっているかどうかだ。ブルネロの演奏もそう言っているように聴こえる。とは言え、さほど常識破壊的なことをやっているわけではない。
ブルネロの音はだから、仰々しい構えやハッタリとは無縁だ。いい意味で重厚感がない。しかし艶やかな音色が変幻自在に変化する様には心を揺り動かされる。これこそ、自然から啓示を受けるブルネロの本領なのか。まさに自然の中で微笑みかける優しいバッハの姿が心を満たす。教条に縛られたつまらない演奏とは雲泥の差がある。
無伴奏チェロリサイタルというと、まずバッハ、ブリテン、コダーイ等有名ですが、このアルバムはそれらははずしていてまずカサドのスペイン風の”組曲”とイザイが珍しい。 現代無名曲のみのプログラムでとても無機的な音楽なんじゃないかと思われた人(私もそう始めは思いました)騙されたと思って是非聴いてみて下さい。 さすが”歌の国”イタリア人のブルネロだけあって、どのバッセージにも血が通い、よくチェロが鳴り歌っています。 ピュアなチェロの響きに心が吸い寄せられるでしょう。
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