日本の動漫(アニメ・マンガのこと)が今や世界中の若者を虜にしている。本書では中国での日本の動漫の受容と影響について、詳細な報告と考察がなされている。全体に極めて興味深く、今後の日中関係を考える上でも示唆に富んだ書でお薦め。いくつか興味深い論点を挙げると、
・日本動漫を普及させたのは海賊版 これは、中国に限らないが、途上国で新しい文化が受容されるには、極めて安価に手に入る必要があり、それを支えたのが海賊版というか著作権意識の欠如であったとの指摘である。それが、現在の著作権ビジネスに通じているわけで、初めから著作権管理ができていたら、受容はなく、市場もできていなかったわけだ。実はパソコン普及の初期段階ではわが国でも同じようなことが起きていた。パソコンソフトの海賊版がパソコン普及を陰で支えていたのは、当時を知る者にとっては自明である。一太郎vs松の対決(そんなの今や誰も知らんか)で一太郎が勝利したのは、一太郎の方がプロテクトが弱く、海賊版が作りやすかったからだ。著作権問題の善悪なんて一筋縄ではいかない。
・日本の動漫には思想性がない。 言われてみればその通り、特にディズニーのアニメと対比すれば明らかだ。ディズニーのどのアニメを取り上げても、男女平等とか民主主義とかをあからさまに宣伝する。アラビアンナイトを扱っても、虐げられた女性と下層階級の開放、みたいな思想をまっすぐに強調する(宮崎駿がディズニーのアニメは下らんと言っていたのはここだろう)。それに比べると、日本のアニメにその手の主張のあるものは少ない。それで、中国当局はたかがガキのマンガと容認したのが、実際には日本人の生活をなぞること自身が、自由と民主主義を広めることになった。そう、思想としてではなく、文化として、自由や民主主義が入って行くことになったのだ。
・中国の若者の心は反日と日本動漫への憧れが同居し、そして、反日運動が盛んになるたびに二つに引き裂かれている。 この論点のために、本書では抗日教育の歴史がレビューされていて、それ自身極めて興味深いものである。そして、江沢民による抗日教育が盛んになった時代と、日本動漫が急速に普及した時代とが重なっていることを指摘する。その二つの思想と文化が、現代の中国の若者の中に同居してことを、インタビューから明らかにしていく。この事実が今後どのような展開を見せるかは、神のみが知っているとしか言いようがないが、今後の中国を理解する上で重要な指摘だろうと思える。
その他にも重要な指摘は多く、最後まで興味深く読んだ。今後も近所付き合いをして行かないといけない国を理解する上で重要な本になるであろう。
世代論を日本社会、特に消費の分析と結びつける第一人者三浦氏の快著。団塊世代、新人類、団塊ジュニアの「三国志」が鮮やかに活写される。そのキーワードが郊外、断絶、豊かさの果ての無目的社会。筆者は、コンビニ・マザーを非難するのではなく、それをありのままに受け入れながら、まともな日本社会への提案を行っている。後ろ向きの道徳主義者に読ませたい。
名曲「つながリーヨ!」も入っていて、第1弾より更にオーケストラサウンドが素晴しく鳥肌が立ちました☆ゲーム(ファイア・ブリザード)の挿入曲もCDの音源で聴きながらその時の場面を想像して感動してます。アップテンポの曲が多いのも良いですね。是非聴いて下さい。お勧めの1枚です(^-^)
中国内でそこまでの問題となって騒がれているのかがよくわからない。 日本でも新人類やゆとり世代、草食系男子とか時代の象徴を大人たちは若者を使って表現しているが、 実際彼らが何か社会的な問題や現象を巻き起こしてはいない。 その次元と同じレベルなのか、本当に社会問題なのかが、どうなんだろうか?
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