作者が設定したフィクションは「どんなことがあっても、女性が眠り続けていられること」ただ一点である。それだけで、かくも広がりを持つ世界を創り出すことができるのか。
芥川龍之介といい、川端康成といい、純文学といいながら大胆な仮説や技巧を用いて、人間の心の奥底をあぶり出してくれる。
本作においても、「眠れる」美少女たちとの触れ合いをきっかけに過去の記憶をたどっていく形式を取っている。匂いに着目した美少女たちの描写も圧巻であるが、彼女たちは、主人公の過去を思い出すための舞台装置に過ぎない。
台詞が原作に非常に忠実に取り上げられている。島村の印象が薄いのも、作者の意図するところをうまく反映していたと思う。葉子の美しい声、駒子の一途さ、あだっぽさも原作か想像できるとおりである。火事の場面が、原作と少し違って、二人の恋の行方を象徴するかのような天の川が見たかった。
The narrator of the story is a nineteen-year-old student traveling alone through the Izu Peninsula. When he is climbing toward Amagi Pass, he meets a troupe of itinerant performers and gets attracted to the young dancer who plays the drum. He wonders if she will spend the night in his room, but when he happens to see her run out naked into the sun at the outdoor public bath, he realizes that she is a mere child -- too young for lovemaking. Feeling as though a layer of dust has been cleared from his head, he happily accompanies the troupe to Shimoda, where he says good-by to the little dancer and takes a ship to go back to Tokyo. Aboard the ship, he silently weeps, but quite unashamed of his tears. Full of romanticism, this is perhaps Nobel laureate Kawabata’s most popular novella.
とにかく島村に感情移入できない。 まあ、昭和初期の高等遊民の考えていることを理解するのは今の我々にはなかなか難しそうだが。 一方で、駒子や葉子の哀切な描写はまさに絶唱である。 これを「美」として素直に受け入れられるか。島村の「何もしなさ」、物語的な理不尽さに苛立ってしまうかによって 読後の評価が大きく変わるだろう。
三島由紀夫が「川端さんの詩集」と評したが、至言であろう。 美しい日本語の文体とはこう云う作品を指すのだと思う。どんなに動きのある描写であっても、川端作品の根底には常に゛静寂゛が流れている。本作の「河童事件」などは典型的な例だ。 その他にも「月」「しぐれ」「反橋」「夏の靴」「有難う」など川端の詩精神が高度に結晶した佳品揃い。(この作品には傑作と云う表現は重々しくて使いたくない) この偉大なノーベル賞作家の全作品中、いの一番に読んで欲しい一冊。
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