3・11の未来――日本・SF・創造力
9・11以降、伊藤計劃という稀有な作家の存在によって日本SF小説も変わったが、では、3・11ではどうなのか、という関心を持って読んでみた。7月に亡くなった小松左京の巻頭のメッセージは良かったが...
その小松左京を始めとして、26名のSF作家、評論家たちの文章が、現実に起きた津波による災害、そしてその後今でも継続している原発の事故の実態をとらえきれなかった小説の想像力のなさのエクスキューズになっているような気がする。
もちろん、そうではないという反論もあるし、真摯な反省ものってはいるが、失礼な言葉で言えば浮世離れしている気がする。被災地の人々や復旧にあたった人たちには、そう思われても仕方がない。
でも、そもそも「SF」というジャンルにそこまで要求すべきなのか、という点も疑問。「浮世離れ」で何が悪いのかって開き直るつもりはないけど、現実は常に人間の想像力、創造力を上回るのではないか。そして、その現実を踏まえて、さらに創造していくという繰り返しなのでは。
この災害を経験したSF作家たちが、さらに優れたSF小説を生み出してくれることを一SF小説ファンとしては期待してやまない。
ヘアピン・サーカス [DVD]
現代の映画のように複雑な伏線や驚くような結末などはない。
むしろ当時としても話は非常に単純である。
主演の見崎清志氏は俳優でなくプロのレーサーでヒロインの江夏夕子氏もA級ライセンスの保有者との事。
そんな演技が本業でない人間を主役に起用しているが、クールで倦怠感のある男を上手く演じたと思う。
深い理由などなく享楽的にスポーツカーで夜を疾走する者たち。
結末は一見勧善懲悪的に見えるが、主人公のエゴの結果でもある。
プロデューサーの安武龍氏はバニシングポイントなどアメリカンニューシネマの影響を受け、日本でも今迄に無い感性の作品を創ろうとしこの作品を完成させたとの事だがその意図は見事に成功している。
当時のファッションや街の様子を観ているだけでも興味深いが、主人公の気持ちと同様、全編を通して突放したような冷めたような物語は現代の作品と比しても劣る事無く素晴らしい。
殺戮にいたる病 (講談社文庫)
我孫子武丸の代表作と名高い一冊。連続猟奇殺人を巡る、
元刑事、犯人、母親の3者の視点で語られる。
絞られた登場人物、張り巡らされた伏線。トリックを一つに抑え、
一文も全体も引き締まった印象を与える良書。グロテスク描写に注意。
まず、初出が1992年であることに驚く。
作中で言及される、幼女連続殺人事件が起こった時は、
まだこのような話は非日常の異常事態として捉えられたはずなのだ。
現在では、良くある話として捉えられてしまう。
犯人視点での幼稚な思考、病的な心理、家族崩壊、見つからない手がかり
と並べると、まるで2007年現在に書かれたように感じられる。
犯人の心理がよく引き合いに出されるが、母親の異常心理も
相当にリアルである。探偵役(名探偵ではない)の元刑事側が、
周囲の人間との関わりからやがて活力を取り戻すのと反比例するように、
犯人側の家族は壊れていく。
この小説のような状況が15年も前に予言されていた。そして、その状況が当たり前のように
受け入れられる現在こそ、真のホラーであろう。
文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)
昨日読み始めたばかりなのですが、続きが気になってしまい、徹夜してしまいました。
姑獲鳥の夏の中では、登場人物がそれぞれとても魅力的で、そして狂気的です。果たして、狂っているのは誰なのか?自分でも境界がわからなくなり、鳥肌がたちました。
この物語に出来る陰陽師は非常に広い世界観を自分の中に構築しているように思われます。彼のアウトプットする言葉一つ一つがこの世で絶対の真理のように感じられます。この作品を読み終わった瞬間、自分がこれまで抱いてきた既成概念が全て崩壊したような爽快感を味わいました。
また、この物語の中に登場するある男性は、自分の生きる目的を「子孫を残すこと」としています。それでは、何故人間は泣いたり、喜んだり、憎んだりするのでしょう。何故人は生きるのか、その答えを考えさせる作品です。