もう映像の一つ一つに痺れてしまいます。溝口監督さんの残された宝をDVDで観れて幸せ一杯。(^o^)(^o^)
「必殺商売人」と「必殺からくり人富獄百景殺し旅」の最終回を収録。 プロの殺しや集団として描かれた「必殺商売人」。大人の物語。最終回もプロらしく、切なく悲しく終わりを告げる。第一話よりも主水の妻りつが妊娠。ドラマはそれを中心に描かれていくが、最終回でりつは流産。江戸を離れるおせいに「女の子が産まれた」と嘘をつく主水の複雑な心境が胸をうつ。
祇園に芸者をしている姉妹がいた。 男に尽くす古風な姉・梅吉と、 男を利用する勝気な妹・おもちゃ。 おもちゃは捨てた男に復讐され、大怪我を負う。 梅吉も尽くした男に結局捨てられる――。
第13回(1936年度)キネマ旬報ベスト・テン第一位。 溝口がそのリアリズムを極めた一本です。 細やかで冷徹な演出で、卑小な男たちと、 その犠牲になる女たちを、鮮やかに描き出しています。 梅吉を演じた梅村蓉子と、おもちゃを演じた山田五十鈴の 二人がとにかく素晴らしく、溝口に良く応えています。 「世間があてらを一遍でも人間らしい扱おうてくれはったことがあるか?」 というおもちゃのセリフが、観ている者に突き刺さります。 前作「浪華悲歌」と、この「祇園の姉妹」の二本が、 1950年代前半の溝口の世界的成功の支えになっていることが分かります。
時代劇の大スター、阪東妻三郎の最晩年の作品の一つ。死の前年の製作である。占領も終わり、やっと時代劇が製作できるようになった年でもある。内容は復讐劇であり、戦前のスタイルを踏襲したものだが、肩が凝らない分、楽しめる。また、阪妻の二役も楽しめ、陰陽両極の演技も拝める。最後の殺陣は二役が入り乱れるが、陽の役は片目をつぶっておどけるところがあるが、これは同じ林不忘の原作の代表格、丹下左膳のパロディみたいである。実際、妻三郎はこの直後同役を演じるわけだが、流石に大河内伝次郎が勘弁してくれと言ったとか。
本作の音楽は、過去やこれ以降の必殺音楽の中でもかなり異質なアプローチを試みています。 デキシーや演歌調に混じって、特に際立った印象を残すのが、当時流行だったディスコ調を取り入れたBGM。 からくり人のモチーフテーマとして制作されたオープニング曲「許せぬ悪にとどめ刺す」が顕著で、 作品世界を象徴するテーマとして江戸風俗、サスペンス、謎解き、殺陣等あらゆるシークエンスにハマってしまう 魔法の様な一曲です。 この曲の持つ雄大な雰囲気が、シリーズ中最も客観性が強いからくり人の俯瞰的な世界観をより後押ししていた様に 思います。
実はこの曲、バリー・ホワイトの「ラプソディー・イン・ホワイト」と言う、あのウィークエンダーのOPにも 使われたソウル・ディスコの名曲をパク・・もとい下敷きにしています。 ある意味風刺講談的な印象のある同番組(そう言えば本来の必殺の時間帯なら裏番組ですね)のモチーフを 中村敦夫や和田アキ子登用と同じ様な意味合いで、逆手にとったのかどうかは今となっては不明ですが 使用の方向性としては同じでも、さらに微妙なサスペンスタッチなフレイヴァーを加えた事が、この曲を 極上のソウルに仕上げています。
このソウル・ディスコの方向性は、後の新仕置人でより統合、炸裂するのですが、黎明期(と言っても半年前ですが) に横殴りの様にこの音をかぶせてきた度胸とセンス、そしてそれを受容するのからくり人の世界観は、 日本のドラマ史上に於いて一つの頂点だった様にも思えます。 (恐らく作曲は平尾氏ではなく、竜崎氏だと憶測しているのですが・・)
90年代に、70〜80初期の埋もれたソウル系の名曲を新たな解釈のコンピレーションで再発して行く、 という動きが世界規模で流行ったのですが、さしものレコードコレクター・バイヤー達も、 このからくり人の素晴らしさは見落としていた様です。(まあフツー時代劇のサントラは聴かんだろーなー)
必殺ファンとしては、世界に出しても恥じない一級のBGMを、ひっそりと染み込ませてもらっていた事に 例え様もなく感謝するものです。
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