収録三篇の書き込み具合や話の密度からは、EDEN中期〜より作者の念が感じられる。(結婚して丸くなったとまでは言いませんが)
単に「痛い中二病患者」の話で終わっていないのは、作者の技量あってこそなのだろう。
通しては面白かった。 しかし終盤になるにつれてありきたりな映画のようになってきました。 マフィアの頭クラスの親父たちがバズーカ持ち始めたあたりは流石にどうかなとおもいました。
好きな作品なので何度も読み返していますが、未解決の伏線が何個かありますね。 ケルビム、エリアの姉ジナ、マーヤココらへんのキャラは意味深なままで終わってしまったきがします。
といってもこの作品の区切りひとつひとつの話はどれもセンスが光り大変面白かったです。
しかし終盤は無理やり壮大、無理やりまとめた感じがたので、そこが違う形で表現されていれば 私の中で1番面白い漫画でした。
またこのジャンルで読んでみたい。そう感じた作品です。
ようするに遠藤は、メンタルよりもフィジカルをよく能く描く作家であるってこった。ただしそれは、「メンタルを描かない、書けない」、ということを意味はしない。「肉体」、ことに「FUCK!」を描くことで、キャラの内面や屈託も間接的に描いてしまう。無論これは、遠藤が「マンガ」という視覚をメインとした表現方法を選択していることと無関係ではないだろう。 この短編集に納められた作品はどれも、思春期(なんて恥ずかしい単語だ!)の少年少女たちの「FUCK!」という行為への距離の描き方が絶妙だと思うんだけれども(「Hang」でのFUCKシーンのリアルさってどうよ? 「プラットホーム」でもんもん背負った親父さんが自分の同級生とやっている背中をみる視線ってどうよ?)それが単なる「いわゆる読者サービス」的な位置によくも悪くも収まりきれていないのは、ストーリーの中でそれぞれの「FUCK!」シーンがきちんと位置づけられ、それなりの意味を持たされているからだと思う。 フィジカルな事象を描くことによってメンタルな部分まで表現しちゃえる、稀有の作家だと思う。
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