行間を読む。 よく小説を深く読む時のコツとして用いられる表現ですね。 漫画を読む際にも似たようなものがあると思うのです。 (この場合、漫画なのだから余白とでもいう表現のほうが正しいでしょうか・・・?)
私は鬼頭先生の多くの漫画の行間には丁寧にしたためられた狂気が渦を巻いている様に感じます。 それが他の作品よりも穏やかな日常よりの傾向が強いこの短編集の中にあることで 見事に日常の中にひっそりと渦巻く狂気を表現しています。 その日常と狂気の対比は、日差しの強い夏に顕著に表れる光と影の明暗のように、 見るものの心を派手にではないものの静かに捕らえ続けていくのではないかと思います。
13話 地球:マキ編(後半)。 この戦いの恐るべき意味が明らかになります。 敵ロボットとの戦闘、周辺の演出、戦闘後に広がる空前絶後の光景、優しさあふれる結末。息を呑む展開が続きます。シリーズ屈指の出来で、シリーズ前半を締めくくるにふさわしい完成度です。 敵ロボットのコアを開くシーンにDVDオリジナル部分が少々あります。
14話 迷い。 アニメオリジナル編の始まりです。ジアースのテクノロジーをめぐって後半の鍵となる人物/組織が次々と登場します。オリジナル編のキーワードは「生きる」。 契約者の子供達が生き残るための模索がはじまります。
15話 自滅:キリエ編(前半)。 突如面倒見が良くなるウシロ。「羊羹」にまつわる迷文句。ジョーカー=タモツの登場。ハラキリ。森田監督いわく「キリエ編は変化球ばかり」。「変化球」も捨てがたいのですが、シリーズ前半と比べて違和感が大きいのが残念です。 「ハラキリ」は最終回につながる伏線になります。
コメンタリーは森田監督、阿澄佳奈さん、浅沼晋太郎さん。浅沼さんの鋭いツッコミとアフレコ内幕話に注目です。
一話ごとに「プレイヤー」が命と引き換えに自分達の守るべき地球を守り通す。
この巻ではモジとアノ・マキがプレイヤーとなって、彼らの大事な守るべきものの為に戦いを貫き通します。
「ぼくらの」に登場する少年少女は一人一人の生き方がとても複雑なので、興味深く彼らの人間模様を観察させられます。
何気なく口にするステーキの肉も、もしモジやアノのように、誰かの幸せの為に命を差し出したものだったら(そうだと考えたい)、僕らはそれを喜んで美味しく頂くしかないのでしょうね。
なるたる・ぼくらので知られる作者のマンガ 例によって、力を持った主人公がその力の大きさ分の苦悩を背負う、みたいな話
ナイーヴな青年特有の世界に対する怒りや不満 そういったものが一つの行動原理になっている
ただ、それを正そうとしたところで結局自分自身は一つも幸せにならないどころか さらに不幸になっていって、自己欺瞞や自己矛盾に苦しむハメになる
そういった葛藤のあと、辿り着いた一握りの教訓とは? そんなとこまで描かれる
今までの鬼頭作品に比べて、メッセージが直接的で分かりやすい メインキャラも2人だし、全体的にシンプルな構成だと感じる
理不尽な世界の中でどう生きていったらいいのか?みたいな疑問に 誤魔化しなしのストイックな回答を求めるような人には一読をお勧めしたい
前作がかなり面白かったので期待して購入。前作は封鎖された山手線内でのサバイバルだったのが今回は世界の危機に直面してのサバイバル。 とはいえ主人公勢は早期に政府の機関に協力することになるので衣食住を保障されているし、キャラクターのギャグやご当地ネタのせいもあって危機感が全くない。一つのゲームとしてみるのならともかく、アトラスが出した女神系列の作品と考えるとアトラスらしくない、ライトユーザー向けな感じです。正直なところ、悪魔の数が増えたのは嬉しいがそのほかの部分が面白みに欠ける。 終盤は主義主張の違う人間が衝突する女神転生伝統の流れ。けれど条件を満たしていればあっさり仲間になるのは違和感……もともと危機感があまり感じられなかったせいで、自分には仲良しグループが喧嘩しているようにしか見えなかった。前作はケイスケ、カイドーが回避できるとはいえマジな殺し合いを繰り広げたり、衣食住に対する執着が凄まじかった。衣食足りて礼節を知るということわざがあるが、主人公たちは文字通り、食い物があるから一般人より落ち着いてたと思う。というか表情パターンが少ない気がする……。 舞台を広げ過ぎて、無印をプレイした自分には細部に違和感を感じさせる作品です。 デビサバ2を単体の作品としてみれば☆4つ アトラスの続編としてみれば☆2つ。間をとって☆3つにさせてもらいます。
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