『ホルモー』『鹿男』『プリンセストヨトミ』『偉大なるしゅらら ぼん』とこれまで、高校生以上の青年の主人公の目線から、日常とふしぎ世界のとけあう独自の領域を描いてきた作者ですが、こんどの主人公はなんと六歳の少女。 小学生のかのこちゃんと、いついてしまった気ままな猫のマドレーヌ、そしてその夫となった飼い犬の玄三郎。
へたをすると甘めの幼年児童文学になりそうな設定でもありますが、作者の立ち位置はまったくゆるぎないものでした。かのこちゃんの、指しゃぶりや鼻てふてふといったちょっとお行儀の悪い楽しみ、へんな言葉を集めて言い合う遊び、歯のぬけるときのなんとも言えない気持ち、すずちゃんとの意地の張り合い、おかしなお茶会など、小学生ならではのなまなましくきらきらした生理が、ストレートに書きこまれています。 きれいごとの子供ではない、感受性ゆたかな野生のイキモノという感じです。
猫のマドレーヌ夫人(玄三郎が夫だから)もペットではなく、対等なイキモノとして、かのこちゃんに接していて、「あの子はわりと好き」とつきはなしたような言い方をし、お互いを認めあっています。最後の首輪の件もふくめて、自由な存在どうしの真正面からの向き合いというか。 ときどき猫又になって、人間とすりかわってしまうのですが、人間になっているときの体感の不自由さもじつにうまく書けていて、つくりごとではなく、その時ばかりは人間のきもちにすこしひっぱられるのか、仲間の猫たちのため、夫のため、かのこちゃんのため、とけんめいに動いています。 夢のようなその意識状態も、動物と人間のあいだの言うに言われない感じをよくあらわしています。
この物語は、かのこちゃん、と、マドレーヌ夫人、というふたつの対等なイキモノを、その接する面に立って描こうとしたものではないかと思います。 さらにそこに、それぞれの伴侶ともいえる親友すずちゃん、老犬玄三郎がからんで、ラストの別れはかなしいけれど透明な余韻を残します。
児童文学というより、むしろ大人が読んで、痛くて、なつかしくて、まばゆくて、自由な(そして野蛮な)イキモノだったあのころの生理の躍動感を取りもどせる作品ではないでしょうか。 子どもと動物の接点とは、人間世界の意識と不思議な世界の意識がまじわるところ。その立ち位置を今回もゆずらず、独自のビュウスコープをもった作品を展開した作者はほんとうにすごいです。
柴犬を飼ったことのある私としては、寡黙で優しい玄三郎のありかたも心にしみました。
アホエッセイ『ザ・万歩計』『ザ・万遊記』の第三弾。ファン期待の『篤史』は今回登場しない。少々残念である。
さておき、今回も万太郎は序盤から飛ばしまくる。飛ばしまくるのだが、中盤失速。東電の株主総会のくだりではサッパリパリパリ。いつもの面白さは全くない。残念無念。 終盤盛り返すも☆3つ止まりであろうか。次回に期待しよう。
歴史好きにはとても面白い作品、コメディー作品だと思ってみるべき、1流どころが大真面目で荒唐無稽な演技をしているのを楽しめるかどうかで評価は変わると思います
後からふり返ると何でもないことが、 でっかいことを巻き起こすきっかけとなる。 本当に何でもないことがきっかけで。
京都という土地柄、オニの存在を信じてしまいそうになりました。
このプリンセストヨトミ、姫の話であるよりも、会計検査員の税金の使われ方の調査が主力。 検査員の綾瀬はるかさんの振り切れ方がいい。 また人生に2度だけ通る、大阪城に向かう絨毯の道もいい。 こんな大切な習慣を戦後(大阪冬の陣、夏の陣から)ずっと守り続けている大阪の皆さんがうらやましい。 新幹線から見える、富士山の麓の幻影も、これから新幹線に乗る楽しみを増やしてくれる。 すごい盛り上がり、というよりも、みんな人生を背負っていい仕事してまんなあ、という感じ。 大阪の楽しみ方をしっかりと映像にしてくれた皆さんに拍手。
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