オルガン・パーカス2人・エレクトリックアップライトベースの最小限な編成で、その土台の上で、ES-225!を「心意気的にアンプに直」でのギターとたまに歌(つぶやき)をかまして(最後の10ではtrumpetも吹いてます)、渋く情感豊かだったり直情的・扇情的だったりに、「仕上げる」というよりは「仕留める」って感じですかね。 最初に聴いた時は恥ずかしながらオリジナルの Arsenio Rodriguez を知らなかったので、「マークリボーらしいなあ」と単純に思いました。その後やはり Arsenio Rodriguez が気になって追って、キューバ音楽の巨人だと知って、特に自身の弾くトレースというギターもどき(複弦3弦ピックアップ付き?)が前面に出た曲たちを聴いて、マークリボーの意図・狙ってることがより分かったような気がします。直情的なギターの音は、トレースの繊細かつ粗野なニュアンスをある意味忠実に再現しているようにも聞こえるし、アレンジやプレイでの練り方・捻り方がすごくインテリジェントでクールなところも、Arsenio の幅広さ、たまにアバンギャルドさ、を、マークリボーのやり方で再構築しているようにも感じるし。01の渋々の曲の最後で結びフレーズに不協っぽい響きをいれちゃうとことか、05や08のスローな渋い曲での中盤での歪ませた直情ギターソロとか。03,05,06はオリジナルが聞けたんですが、もちろんそのままでなくマークリボー流に仕留められてます。が、アルバム全体としては「これが俺にとってのキューバ= Arsenio の解釈だ。どうだ。」みたいな感じですかね。 単純にかっこいいと思って聴くべきかもしれませんが、でもついそんな聴き方もしたくなる深さがあるんですよね。実際に2011年の来日時のGuitarMagazineのインタビューに「Arsenioの音楽は詳細に解析してから組み立てている」という趣旨のことを言ってました。 キューバ音楽には疎いですが、パーカスの2人のニュアンス(フレーズとかでなく「音面」)が、かなりキューバっぽいのかな?。ベースも06とか本当にうまいですけど、悪い意味でのモダンに決してならず、イカしてます。あと、02と05にMMWのJohn MedeskiがOrganとMelotronで参加してます。
マーク・リーボーは、ラウンジ・リザーズをはじめ、ジョン・ゾーン、トム・ウェイツ、エルヴィス・コステロなどさまざまな曲者たちとの活動歴を誇るギタリスト。俗に"ダウンタウン派"と呼ばれるニューヨークの先鋭的なミュージシャン・サークルで活動している異才だ。 こうしたことからも想像できるように、マークは旺盛な好奇心と実験精神を持ち合わせた、いわば音楽ジャンルの越境者。それだけに、前作『キューバとの絆〜アルセニオ・ロドリゲスに捧ぐ』(98年)はキューバ音楽に取り組んだものだった。この『;ムイ・ディペルティード!』は、そんな前作の流れを汲むもので、キューバ音楽のカバーとラテン風のオリジナル曲で構成されている。 キューバ音楽がテーマといっても、現地のミュージシャンたちと一緒に演奏しているわけではなく、また、キューバ音楽の名曲をそのまま演奏しているわけでもない。マークはあくまで自分流にキューバ音楽を翻訳し、小編成のバンドで演奏している。その意味では、彼のキューバ音楽に対するアプローチは、"フェイク・ジャズ"を標榜していた初期ラウンジ・リザーズのジャズに対するそれに近い、と言ってもいいだろう。事実、バンドの演奏には、真面目さと遊び心、繊細さと大胆さが同居していて、かなり風変わり。が、それでいて哀愁も滲んでおり、噛めば噛むほど味わいが増す。本物のキューバ音楽ではないが、さりとて低級なまがい物ではない。ここで繰り広げられている音楽は、まさしくマークたちにしか奏でられないキューバ音楽なのだ。
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