小説の神様、志賀直哉。一昔前の文学青年達は決まって志賀直哉を崇拝し、必ずその文章を筆写したといいます。現代では、神様の名も薄れつつあるようですが、この本を読んで直哉が文壇に与えた影響が非常に大きかったのだと改めて感じさせられました。
代表的な短編『城の崎にて』と『小僧の神様』のほか数編が収録されています。全編を通して見られる、行き届いた描写と無駄のない簡潔な文章は情景を頭の中に印象深く焼き付けてくれます。また、人間にありがちな都合のいい考え方や、心の揺れ具合はまさに神業。私小説に近い展開を繰り返しますが、ちっとも飽きません。
ただ、書いていることが少しあやふやで、私小説などに興味がない方には、何を書いているのか分からないと言うことにもなるでしょう。他の文学作品に比べても、全編を貫く思想又は主義という物は非常に弱いように感じます。文学を読むことに手応えを感じたい方にはあまり向きません。
私は大変気に入りましたが、買うときは他の方のレビューも参考にしながら、慎重に。
大岡昇平がこの作品を近代文学の最高峰と評価していたので、そこまでなら……という訳で読み始めました。はっきり言って最初は何が書いてあるのかさっぱり理解できませんでした。しかし、後で著者の作品をいくらか読んで解ったのですが、他の純文学作家に比べても志賀直哉は主義主張が弱いようです(少なくとも私はそう思いました)。それでも、かなり完成度が高い作品だな、と感じます。
文体が無駄のない、鮮やかな描写の文章だということは間違いなく、解説でも著者の朋友達がその文章に感嘆していたということが書かれています。志賀直哉の様な文章が書けないので作家になる事をあきらめた、という人がいるくらいですからよっぽどです。しかし、そういわれてもあまり誇張の様に感じません。小説の神様といわれるだけの事はあるでしょう。
作品の方は前述しましたように、主義をはっきりとつかむことは難しいです。大筋は、あらゆる苦難や困難を受け、それに対して自らの理論と価値観をもって、乗り越えようとする、そういうところでしょうか。所々で鮮やかな描写や、同感したくなる考えが出てきて、とても長い小説ですが無理なく読めます。
ただ、人にとってはだらだらと書いていて何が言いたいか解らないという事になるかも知れません。三島由紀夫とかが好きな方にはあまりお勧めできませんね……。
でも、こういう種類の小説がある、という意味でも読んでみてはいかがでしょう? 小説に対して違った見方が出来るようになると思います。
志賀直哉は特に好きではありません。 城之崎に旅行に行ったことがあります。 城之崎は、情緒溢れる古びた温泉街で、のんびりとできました。
生と死という静かな題材で、描写が細かいのは耽美主義というのでしょうか。
個人的な話になりますが、自分の盲腸の手術の時に、麻酔が効かずに 「ノーキエロ」とスペイン語で叫んだことがあります。 人は窮地に追い込まれると何を言うかがわからないというのが実際に経験したことがあります。
私小説は、他人には分からないかもしれないということの証かもしれません。 それを前提に読み進むとよいかもしれません。
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