ハンバーガー・ヒル コレクターズ・エディション [DVD]
ハンバーガーヒルは以前、字幕版で見たのですが今回日本語吹き替え版を見て、
日本語でダイレクトに、視聴者の感情に伝わってくる戦争のすさまじさが大変に心うちました。
青春をベトナムの戦場でおくり、そして戦火の中で命を失っていく若者達が痛ましく感じました。
戦争だけを批判的に評価するのでは無く、そこで皆それぞれの事情があり戦地に送り込まれてきた人々の、
人権と散って行った若者達の命の尊さを伝えようとする作品であると思います。
「戦争は勝っても負けても悲劇しか残さない」と言う事を教えようとするのは非常に大切な事だと感じました。
プラトーン [Blu-ray]
TVはSONY ブラビアE1000 42V。デッキはPS3。音声はパイオニアPS−W1。
画質、音声ともにほぼ最高のものでしょう。ですがそれが逆に当時の公開を知っている者としては「ここまで鮮明な画像じゃなかったのになぁ」と思ってしまうかも知れません。
この映画が話題になったのは、この映画の撮り方にありました。それは役者をこの映画を撮るだけの為に数ヶ月間もの間、軍事訓練に従事させ、実際のキャンプで生活させたというやり方です。これは当時、結構な話題となりました。そこまでして監督が撮りたかったものは一体なんだったのか?
今、これよりもリアルそうな戦争映画は山ほどあります。迫力ある戦争映画も山なりです。
ですが、自分はふと「戦争映画と問われたら?」と受ければ「プラトーン」と答えてしまうでしょう。それは、兵士の持つ「倦怠感」が映像から伝わってくるためです。ジャングルと、血と汚泥と雨が容赦なく兵士からあらゆるものを奪ってゆきます。ただひたすら消耗してゆくのです。正常な判断力、友情、信頼、規律、体力何もかも磨耗し続けていきます。それをオリバー・ストーン監督は我々に伝えたかったのではないでしょうか?
武器であるM16A1はアルミ・アーロイの地肌が浮き上がり、ヘルメットもファティーグもボロボロ。心身ともに最低の環境を這いずる毎日。
ここには、正義も悪も、愛情も友情もありません。嬉々として戦場を駆け巡る英雄も居ません。傷ついた身体を引きずって、死にたくない、もうこれ以上失いたくないというだけで這いずるように走る兵士が居るだけです。
それを何故、我々に伝えようとしたのか?それを最近は痛切に感じます。自分は製造職場で20年以上勤めていますが、やはり思うのは我々も広大な社会の中の「プラトーン」なのです。社会は広大であっても、接する人間関係は決して広大でありません。その中で我々は日々「クリス」であるし常に「バーンズ」と「エリアス」のような二極の先輩のどちらかに付くか、選択を常に迫られます。何もかも磨耗し続ける毎日の中で、です。
戦場は常にそこにあり、我々は生涯「プラトーン」の一兵卒に過ぎません。果ての見えないジャングルは人生そのものでしょう。何もかも磨耗し続ける中で、とうとう敵も味方も判別できなくなって行く毎日。これは特別な事ではありません。我々が面と向き合う日常の中です。
何もかも失う毎日の中、ある黒人兵士がつぶやきました。
「・・何故だか知らんが、俺は無性に悲しいぜ」
自分にとっては、永遠に忘れられない言葉です。何が悲しいのかすら、もうわからない生活が、この映画では淡々と、そして延々と綴られるのです。
この最高の映像環境で、是非、一度味わっていただきたいものです。
そこには「我々」が居るのですから。
プラトーン (特別編) [DVD]
この映画はベトナム戦争映画の最高峰の一つと個人的に思う
志願兵としてお坊ちゃんのクリスが配属され、その視点で語られるの
ですが、「志願」てのがミソだとまず思った。
「自己実現」の場としての戦争。
それはオチこぼれの社会不適合者、自分の道が定まってないフリーターやニート、アダルトチルドレン
将来や社会に不安を覚える我々と同じ目線にも置き換えられる。
「世の中のためになること、それが自分の夢」
その理想と現実の間で
引き裂かれそうになるその葛藤が実にリアルなんです。
それは、同じ部隊のバーンズとエリアスという
二人の軍曹の反目に象徴されていて
そのことがアイデンティティとは自己実現とは何か
もちろん「正義」とは何か
普遍的、哲学的な問いかけがなされます
それは正に「見えない敵」!
一体何と戦ってるのかわからないという恐怖。
同胞にも疑惑と憎悪のめがむけられ、人間性の喪失という自分自身との戦い
大なり小なり、我々が生きてる上でも常に直面してる問題だ。
強烈な現実の前に
破綻しそうになる
「自己実現」という夢
その究極の姿がこの「戦争」であり、その理想が破綻したとき
それは容易に「犯罪」に変異するという警告を
オリヴァー・ストーン監督は投げかけてるんじゃないか
”殺人”という名の「犯罪」に
敵かどうかもわからない民間人を
殺害、暴行、レイプするシーンはそういう意味で強烈に印象に
残ってます
平和ボケした我々もまた<強烈な現実>を目の当たりにしたとき
そうした狂気とは無縁では決してない、ということ
生きるということは、そうした自分自身との戦いの連続であって
いくら目をそらそうとしても逃れられない
そのことが、劇中何度も流れる美しい
バーバー作曲:弦楽のためのアダージョ
の旋律にも似て切ない
プラトーン【字幕版】 [VHS]
私がこの映画を初めて見たのは小6の時でした。今でも、終盤の戦闘シーンの凄絶さが見終えた後寝ようとしたときにフラッシュバックしたことを、鮮明に思い出せます。
この映画には珠玉のように素晴らしいシーンがたくさんあります。私が特に気に入っている細部はアメリカに生きる人々を記号的に、俯瞰図的に描いているところ(スラングや訛り、人種など)(記号的なのですが、だからこそ)、ベースキャンプで主人公、エライアス、キング等アンダーワールドに出入りする人々が女性的な音楽の中で友愛に満ちた時間を過ごすシーンです。
主題は、この映画は一言で言ってみれば「男性性の葛藤」を描いたと、いうことに尽きると思います。極限状態である戦争という場において最も露見する種類の。
!チャ―リー・シーン演ずる主人公が最後に「僕はバーンズとエライアスの間に生まれた子供のような気がする」というように、半人前の男である主人公が二人の(両極の役割、立場を代弁する)一人前の男達の闘争をに巻き込まれる映画です(結局主人公は一方の立場を支持するわけですが)(その時の彼の残酷な表情!)。この闘争の真の悲劇性は彼等が二人ともも殺されてしまう(どちらも現実的に成功し得ない)ことであり、それは端的にエライアスの死に様、バーンズの「殺せ(殺してくれ、と懇願しているようにさえ聞こえます)」という台詞の中に象徴されます。
大義を信じられなくなり麻薬を嗜み、しかし人間的であり、であるがゆえに殺されることとなったエライス。大義(システム)への完全の信頼(忠誠)を!誓い、組織のことを我がことのように考える責任感のあるリーダーであるものの誤謬を犯し(味方殺し)、矛盾に陥るバーンズ(あたかも死を強制するような、オーニールの懇願に対する拒絶)。
現代社会に生きる私達への強烈な問いかけとなっていると感じています。
ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン (新潮文庫)
池田晶子を読んだことで、30年前に読んだ本を再読した。30年前の高校生に本書は難しかったであろうと思いながら。
「自分は知らないことを知らないと知っている」というソクラテスの議論は、そのまま現代にも通用する。つまり人間はこの2500年もの
間に、余り進歩していないのだということだ。「自分はなんでも知っている」と思いこむことで起こる悲喜劇は、僕らの目の前の日々の生活での問題である。それに対して「知らない」と言い切るソクラテスの強靭さには改めて感心した。
そんなソクラテスの刑死の日を描いた「パイドーン」は読んでいて感動的ですらある。毒杯を仰ぐその日のソクラテスは実に快活だ。彼を惜しんで集まった人たちが、ソクラテスに対して最後に言っておくことは無いかと聞く。ソクラテスは以下のように答える。
「 君たち自身を大切にしてくれさえすればいいのだ。
そうすれば、たとえいま何も約束してくれなくても、君たちが何をしていても、僕にも、
僕のうちのものたちにも、そして君たち自身にも、つくしたことになるだろう。 」
ソクラテスは誰より自分を大切にしたことは本書を読めば分かる。その結果が刑死だっただけのことだ。彼は、それを軽々と受け入れた。受け入れることで、自分を大切にし、2500年後の僕らにも、その言葉が届くようにしてくれたのだ。