長らく待った最新作。相変わらず長い。くどい。そして面白い。
いろんな要素が絡み合う複雑な事件ですが、ポイントを整理しながら物語がすすむので混乱せずに楽しめます。その分長くなってしまいますが。マイナス1にしたのは犯人候補が次第にいなくなるのと、ナディアの推理が当たるはずがない(笑)ので、犯人が絞れてしまうこと、ラストの意外性が今ひとつでした。
大衆への強い嫌悪から革命家をこころざす者。 そして、現象学的に誰よりも大衆であろうとする矢吹駆。 双子のような存在の両者は、出会い、すれちがい、やがて永遠の別れを迎える運命です。
一方、裏でそのような物語が展開されているとも知らず、表の主人公と言うべきナディア・モガールは、無邪気な探偵ごっこに熱を上げたり、新しい恋人に夢中になったり、スキー行ったりパーティー行ったりと、青春を満喫していました。 しかし物語の裏と表が合流するとき、彼女もまた、少女ではいられなくなるのです。
なにより残酷なのは、矢吹駆を事件にかかわらせることで、ある意味最悪の結末を導いてしまったのが、ほかならぬナディア自身であるという事でしょう。彼女は、自分の目に映るだけの世界に、満足できなかったのです。 苦い話だと思う。
女の子探偵がこっぴどくしてやられるという構図は、アンチ赤川次郎のようにも思えました。
「イデオロギー」とは「経済・政治理論の基礎となる、考え・理想のシステム」とある。(Oxford Dictionary)
果たして 著者の論じている「ニッポン・イデオロギー」は、そうした「システム」とまでいえるものなのか。 それとも、もう少し断片的・非結合的なものなのか。
この点に関する検証・説得が欠けているように感じる。
もし、結合的でないものを、 あたかも結合的な1つのシステムとして論じるとすれば、 そこにこそ、論説の「死角」が生じうる。
私たちは、編集担当者の方も仰るような、 「(この国にユニークな)宿命的な病理」を抱いているのか?
# またそうした病理があるとすれば、 内容や形こそ違えど、 どの国・どの民族にも、固有かつ宿命的な 病理は存在するのではないか?
第二次世界大戦敗戦と、大震災による原発事故との、 背景の類似性を探る試みは、興味深いものだが、 結論を急ぐと、 そのことこそが、新たな「死角」を生み出しうる。
そうしたことに「自覚的」であることが、 書き手にも、そして読み手にも、求められるのだろう。
この本を肯定的にも否定的にも眺めながら、 自身の考察を深める、 そうした読み方が一番良いのかもしれない。
原作はすばらしかったのでしょうが、映画だと時間的制約があるせいか、何を言いたいのかよくわからない。カーチェイスもエンジン音は適当に後からつけたものなので、迫力が半減。出てくる車は良い感じなのですが・・・。
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