タイトルのセンス、突拍子も無い設定、ぶっ飛んだキャラ立てなどはいかにも荻原浩ワールドなんですが、弱小応援部をめぐる日常を通して世代間ギャップや親子の情、ジェンダー問題を描くタッチは、まぎれもなく重松清の世界です。
設定の面白さは買うのですが、エピソードが多めである上に、各シーンの作り方が良くも悪くも重松清的で予定調和すぎ。要は妙に説教くさい。応援とは何か、を伝えるという点なら「小さき者へ」への方がシンプルで良かったです。
作中で気になった点をふたつ。応援団の凄みを効かすためとは言え、関東の大学のOBにそんなに西日本出身者は多くないのでは。もうひとつ、この本には飲酒シーンが多いのだけど、酒を飲む表現に「呷(あお)る」と「啜(すす)る」しかないのはしつこい。もう少しボキャブラリがあっても良い。
オリジナリティを、ここまで既成概念と厳しく対峙させて維持しようとしている人間がほかにあるだろうか?サッチーの学歴詐称問題といい、森元首相の“家で寝ていて欲しい”発言といい、確かに私も単なる建前論を恰も自分のオリジナリティであるかのように錯覚し、嬉々として井戸端会議に参加していた。太田光の冷めた眼は、冒頭を飾る「ポコとジョン」に最もシンプルな形で現れている。愛犬の死という場面に直面し、「笑ってしまう」という行為は十分私にも有り得ることだが、あったとしても、私のザルのような意識(建前論と既成概念でできている)からはスルリと抜け落ち、決して記憶には残さないであろう。太田光は、事実を見落とす事なく、その時のありのままの自分の姿をくっきりと描いて、まったくためらいが無い。自分のリアクションに驚いてはいるものの、だからどうだという感想は無い。事実を事実として受け止めるとは、こういうことかと思った。そしてその積み重ねが、オリジナリティとなるのだろう。
去年、図書館で見つけて読んだことがあります。 結構よかったですが、 中学生にはちょっと難しかったかな。 確か、太田さんは頭がいいんですよね。 もちろん、簡単に読めるところもありましたが。
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